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絶対音感という不思議な才能? [ノンフィクション]

 「絶対音感」。なんだかこのコトバの響きには、音楽を志す者だけでなく、音楽に門外漢の人ですらも引き込まれてしまう魔法のような魅力があると思いませんか? 英語名でいうところのパーフェクトピッチ。果たして、完璧な音感とは、一体どういうことなのでしょうか? この音感を持つ人は天才音楽家のみに許された特殊な才能なのか? 最相葉月による「絶対音感」(小学館文庫)は、こんな疑問を突き詰め、読者の知的好奇心を大いに奮い立たせてくれるノンフィクションであります。

 小鳥のさえずりも、救急車のサイレンもドレミで聞こえる人がいる。あなたの隣にまったく別の音の世界に生きている人がいる。でたらめに叩いたピアノの音も、鳴っている音をすべてドレミの音符に瞬時に変換してしまう人。絶対音感を持てないために音楽家への道をあきらめた人もいる・・・・などという逸話を並べてみただけで、このテーマに対する興味は深まっていくことでしょう。しかも日本人には絶対音感の能力を持った人が非常に多いという事実を聞くと、なおさらです。

 しかしよくよく考えてみると、音をドレミの音符に変換するということは、単に幼児期における徹底した音感訓練による結果ではないのかい? ダウン症の人の中に何年先のカレンダーも瞬時に言い当てる能力がある人がいるとか、譜面も読めない知的障害者が二千曲以上のオペラを暗記して歌うことができるといったイデオ・サバン(知恵遅れの天才)とは、明らかにその謎の質が違うのね。事実、著者も本書でしつこいくらいに絶対音感とは、特定の音の高さを認識し、音名というラベルを貼ることのできる後天的な能力であり、それがすなわち音楽創造を支える絶対の音感(真の意味での才能)ではないことを主張しています。

 つまりは、反復運動によって無意識の中に知覚を顕在化させるというサブリミナル効果の一種。実に不思議に思われた絶対音感という言葉の響きの実体は、子供時代のヒステリックな音感教育に原因があるとわかると、小鳥のさえずりがドレミで聞こえる人がかえって哀れに思えてきます。小鳥の声はチュンチュンでいいじゃないか。音楽的素養をまったくもたずに育ったおかげで、自然の声をありのままで満喫できる自分にほっとしている私であります。


絶対音感


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ace-cafe

これって、僕は経験で知ったことでもありました。

前に付き合ってた人がピアニストで、絶対音感を持った人でした。
テレビのCM曲なども流し聴きしてるのに、すんなり口ずさむ彼女の能力に驚きました。本当に全ての音がドレミで聞こえるらしく、食事をしているときにスプーンを落としたりしても「落ちた瞬間の音はファ♯」などの冗談を言ってくれたり(笑)。

ピアノの英才教育の賜物と言ってしまえば聞こえは良いのですが、その反面欠けている部分も多く、母親との関係や自身の性格で彼女もちょっと悩んでいるようでした。そして、ノイズ音楽などスタンダードな和音ではない音は非常に不快に感じるらしく、音を自由に楽しめないので作曲に自信が持てないとも…
芸術は自由な発想で育てていったほうが良いのかもしれませんね。

音痴もどうやら治せるものだそうですね。
音程をとることさえわかれば、誰でも上手に歌をうたえるようになるとか。親友のうち二人が音痴なのですが、最近色々聴くようになった一人は上手くなってきました(笑)。
音程をとりやすい音楽でも聴いてるのかな。
by ace-cafe (2005-05-11 23:45) 

pon-pu

Tad さん、sacanaさん、ご訪問感謝です。
子供の頃、音楽の授業でドミソとかドファラの和音を当てることが
ただ一人できなかったという哀しい過去を持つ私としては、
絶対音感という世界は正直なところ、想像することもできませんでした。

音楽制作に必要な耳の分析については、
Tad さんの記事が非常に参考になります。
http://blog.so-net.ne.jp/tads_talk/2005-05-09-1
やはり本質的な相対音感としての想像力と、
英才教育によってつくられた絶対音感とは、
まるでその質が違うモノみたいですね。

絵画の世界でも、同じことが言えます。
絵画指導によって見かけ上美しく描くようにすることなど何の意味もない。
大切なのは、描き手が自由な感性で自分のエネルギーを放出したか
ということなのですからね。
絵画の世界では絶対音感に当たるものって、何になるんでしょうか?
さしずめ、特定の色をたとえばカラーチャートでいうところの
C100,M100,Y50,BL30なんて色指定を即座にできる能力でしょうかね。
そんなもん、デザイナーならたいていは持ってるし、想像力とは関係ない。
自分のわかる世界に当てはめてみるとますます
絶対音感をもてはやす音楽教育現場の愚かさに気付かされますね。
by pon-pu (2005-05-12 08:37) 

lucksun

pon-puさん、こんばんは。
この本、私も以前読みました。
五嶋みどりの話が興味深かったと思いますが、
結局は絶対音感の是非に関する結論は
出ていなかったような記憶があります。

子供の頃ピアノを習っていたので、
昔は絶対音感に自信があったのですが、
演奏することから遠ざかってからは、
だいぶ薄れてきています。
おそらく、これは単なる慣れですね。
一方、相対音感に関しては、
応用編のようなものであるせいか、意外に健在です。
転調をするときに役立ちます。

絶対音感のある友人は、
カラオケでキーを変換すると歌えない、と
言っていました。
by lucksun (2005-05-14 03:08) 

pon-pu

lucksun さん、コメント有り難うございます。
ご指摘の通り、本書では絶対音感に関する是非の結論は
著者ははっきりとは記していない。
それが少し読後に物足りなさを残す結果となっているかもしれません。
私としてはむしろ、イデオ・サバン(知恵遅れの天才)の音楽家たちに
非常に興味をそそられています。
人間の限りない可能性を感じさせてくれる世界で、本当に面白い。
でみまあ、この話はまた別の本の紹介でさせてください。
by pon-pu (2005-05-14 08:44) 

the_interpreter

絶対音感を持つと、全ての音が音階になってしまうのは、確かにそうですが、それをうらやましい才能、と考えるのは必ずしも正しくないのです。
電車に乗ってみましょう、絶対音階を持って。
発車ベル、ドアの閉まる音、電車の音、レールの具合によって変わる雑音とレールの継ぎ目のピッチによって変動するリズム、社内アナウンス、ヘッドフォンから漏れる音楽、携帯電話の着信メロディー、別の電車とすれ違う時の轟音などなど。
絶対音感をメロディーを採譜できるくらいに考えているのであれば、間違いです。
それは、優れた相対音感の可能性だってあります。(基準となる音から何度上がった、下がった、とかいうことなら分かる、といった。)
レストランでウェーターが皿を割って、その音を複数音の和音で認識できるなら、はい、その人は本当の意味での絶対音感保持者です。
でなかったら、山手線の駅名を全てそらんじて言える程度の特技にすぎません。
絶対音階保持者にとって絶対音感というのは、夢のような特技ではなく、見えないハンデのようなケースもあるのです。
by the_interpreter (2005-05-24 15:50) 

Youkimu

http://www.japan-hotels.hippy.com/
by Youkimu (2006-01-13 03:21) 

通りすがり

記事、読ませていただきました。絶対音感に対して誤解されている部分があるようなので弁解させてください。

まず私は絶対音感を持っていますが、それはピアノを習いながら自然に身に付いたもので決してヒステリックな英才教育の結果ではありません。私のように自然に身に付いた人が大半だと思います。

絶対音感と音楽的才能は関係ありませんが、実際に楽譜が出版されていない曲でも演奏できたり、バンドのセッション時に曲の進行、展開をつかむことができたりと便利なことが多いんです。

最後に、小鳥の声がドレミに聞こえたとしても、それを心地よく感じるかどうかは絶対音感とは関係なくその人の性格の問題です。例えば私は絶対音感がありますが、pon-puさんと同じように鳥の声はすごく好きです。ノイジーな音楽も好きだしカラオケも大好きです。なんの教育にしても幼少時に徹底的にやりすぎるのはよくないですよね?絶対音感にしてもそれと同じで、ようは程度の問題だと思います。
by 通りすがり (2006-03-03 16:04) 

taka

なんでそう否定的に考えるんでしょうか?

ちなみに先日うちの娘に絶対音感があることは判明して一応喜んでいたんですが。。。^^;
by taka (2006-07-23 09:13) 

不要なコンプレックスは捨てた方がいい

こんにちは。絶対音感で検索してたどり着きました。
いきなりこんな昔の記事にコメントしてスミマセン(笑)

絶対音感について、いくつか誤解があるように思います。
まず、「反復運動によって無意識の中に知覚を顕在化させるというサブリミナル効果の一種」ということについてですが、
僕たちがふつう「絶対音感はすごい!」と言う場合、
 特定の高さの音 → 特定の名前(ドとかレとか)
という条件づけの部分に感嘆しているわけではないことに注意して下さい。
驚くべきなのは、「特定の高さの音」が、他の基準を使うことなくいきなり判別出来るという点です。
これは、水にいきなり触ってそれが何度か言い当てられるみたいなものです。
例えば、冷たい水に触ったあとでぬるま湯に触ったときと、
熱湯に触ったあとで同じぬるま湯に触ったときでは、
同じぬるま湯でも違う温度に感じるはずですよね。
絶対音感の持ち主は、音の高さに関しては、そういう錯覚を起こさない、ということなのです。
これは、言い悪いは別にして、かなり驚くべき能力だと思います。
たんに、赤を見たら1をイメージして、青を見たら2をイメージする
というような単純な条件付けとは種類が違うのです。

あと、「子供時代のヒステリックな音感教育に原因があるとわかると」というのも独断が過ぎます。一生懸命に音楽教育をやることは、必ずしも「ヒステリックに」音楽教育をやることと同じではありません。

あと、二つ上の通りすがりさんが仰っている「小鳥の声がドレミに聞こえたとしても、それを心地よく感じるかどうかは絶対音感とは関係なくその人の性格の問題です」という言葉に全く同意します。
by 不要なコンプレックスは捨てた方がいい (2006-09-23 03:15) 

べー

うちは今までピアノなどの音が鳴ったときこれはドなどとなんで一発でわからないんだろうと思ってました。こんなの当たり前じゃないかとおもってました。
今も正直これが何の音かわからないなんて人がわかりません。
by べー (2006-10-21 23:05) 

Akaneko

んー、辞書にも確かに載ってますが、「パーフェクトピッチ」って言い方はなんだか違うような気がします。
絶対音感の「絶対」は一般に"100%"とか"完璧"とかいう意味ではありませんから。
まあどう思うかは人次第ですよね。
by Akaneko (2007-12-06 22:17) 

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