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楽しく絵画の勉強ができる研究書 [アート]

  視覚デザイン研究所編「うちの子はピカソ」(視覚デザイン研究所)という児童絵画の指導書が面白い。指導書とはいっても、あくまで一般のお母さん・お父さん向けにやさしく書かれたもので、「はじめてのお絵かき」「色から生まれるお絵かき」「観察力をつけるお絵かき」と三冊構成になっています。我が国の児童絵画の指導本というのは本当にひどいものばかりでありまして、ほとんどが子供に型どおりの描き方ノウハウを押しつけるという間違った指導がおこなわれている中、本書は親たちに子供の絵の世界の秘密についてわかりやすく解説してくれています。

 「お絵かきは子供の感受性や表現力を育てます」「お絵かきは子供の世界の扉です」「自分と周りの世界を確かめるため、お絵かきは始まる」「ワンパターンの絵ばかりでも問題ない。子供が納得いくまで描かせてあげましょう」「子供が感じて作り上げた独自のイメージ世界を大切に」・・・・・そうそう、その通り。まるで私の著作のようではありませんか(笑)。基本的に、子供の絵に「指導は必要ない」としている点もまったく私の考え通りであり、子供の絵画がいかに成長すると共に変化していくかを豊富な実例をもとに解説してくれる点も素晴らしい。これなら、「私、絵のことはとんとわからなくて、困っていたの」と嘆くお母さんたちも、よーく理解できることでしょう。

 さらにさらに本書では、ピカソやクレーといった抽象絵画の大家の作品と子供の絵を比較して、彼らがいかに子供の絵を目標にしていたか、またその芸術作品と子供の絵画の違いについても言及していて、ちょっとした美術鑑賞読本の役割も果たしてくれています。このシリーズさえあれば、子供の絵画教育に関しては他に本を買う必要はありません。そこいらの下手な絵画教室に通わせる必要もないでしょう。学校の美術教育なんて、無視してください。それくらい良くできている。そしてわかりやすい。たった一冊1,300円也×3冊セットで、親子ともども一生楽しむことができることは保証いたします。べつに視覚デザイン研究所とやらに知り合いがいるわけでも何でもございませんが、これは断然お買い得のお勧め本なのであります。アウトサイダーアートに興味がある美術関係者にとっても、価値ある一冊です。


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すさまじいクレーム処理の実態。 [ノンフィクション]

 クレームを付けるのが大好き、という不思議な趣味を持つヒトというのが世の中には存在するようです。一般的感性をもってすれば、他人様に文句を言う前に自分の問題を検証するのが当然と思うのですが、彼らの発想はまったく逆。自分が関わったミスの原因はすべて他人にあり、それを糾弾することに最高の快感を持つようなのです。私も昔、とんでもない恐ろしいクレーム処理の現場に立たされたことがありまして、その恐ろしさは未だに忘れることはできません。なんといっても、クレームのためなら相手が誰であろうと声高々に電話しまくるあのすさまじいパワー。ヒステリックな一種の神経症なのではありましようが、そんな病人相手に世間の常識の範囲内で抗弁する企業担当者の方々は、本当に大変なご苦労をされていることだと存じます。

 川田茂雄「ムチャを言う人」(中央公論新社)は、クレーム処理歴20年というクレーム処理のプロたる作者が、これまでに関わってきた事例から特別なモノだけを集めて公開するという実例集であります。企業にクレームを付けて相手をやりこめ、それを楽しむという愉快犯型クレーマーというのが最近は増殖しているようなのですが、企業側は滅多にこうした実態を明かさない。そのためクレーマーたちは同じ手口で次々と各社を攻め続け、企業のクレーム処理担当を悩ませ続けているらしいのです。前著「社長を出せ!」でも、クレーム処理の実態とその大切さを訴えることに成功した作者ですが、本書ではより具体的にクレーマーたちの手口を公開しているため、クレーム処理の現場に立つ人たちにとってのノウハウ集にもなっています。

 明らかにカメラの使用方法のミスによる撮影ミスなのに、大切な機会を失ったと訴えて損害賠償を要求してくる人。ヤクザのように声を荒げて会社にやってきて、細かな製品の欠陥を指摘するだけでなく、その行動にかかった費用や損失した備品の費用まで要求を突きつける人。一度電話に捕まったら、永遠何時間も細かな疑問や問題点を指摘し続ける人・・・・。私も経験があるだけに、毎日こんな人たちの対応に追われている現場の人たちのご苦労が察せられ、さぞかし胃を痛くしていることだろううと同情申し上げてしまいました。しかし作者が本書を記した本当の目的は、こうしたクレーム処理の中からも企業が消費者の声を真摯に吸い上げることの大切さを訴えることではあります。普通に考えたらとても相手にしていられない人たちとも真摯に向き合い、企業の社会的立場を守るクレーム担当者。一見素晴らしいことではありますが、これらを逆手にとってますますクレーマーたちの態度がエスカレートしないことを願いたいものですな。


ムチャを言う人—不屈のクレーム対応奮戦記


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日本全国お雑煮の数々  [料理・グルメ]

 日本の伝統的な正月料理であるお雑煮。21世紀の現代に至っても、洋食が主流になりつつある日本の家庭でも、正月にはなぜかこれを食べる風習は残っている。というか、お雑煮を食べないと一年が始まらないという感覚は、日本人のDNAに植え付けられてしまっているものなのかもしれません。

 このお雑煮というヤツ、地方ごとにその味付けや具材の種類が全く違う。あっさりしたすまし汁(鰹だし)の関東に対して、北陸の赤みそ、ご存じ京都を中心とする白みそ、出雲地方ではあずき汁文化圏である。九州もすまし汁だけど、だしは主に鰹以外の魚ですね。だし汁以外にも餅が四角いのか、丸いのか、焼くのかゆでるのか、具材はシンプルなのか、豪華なのか…、とお雑煮談義をし始めたらどんな人でも意見が止まらない。というのも、みんな自分のうちのお雑煮こそ正しいお雑煮であると信じて疑わないからなのでありましょう。結婚して初めての喧嘩はお雑煮を巡る攻防であると、よく言われるじゃありませんか(笑)。

 お雑煮のあり方を巡って、毎年喧嘩が絶えないというご家庭の方に、おすすめなのが「お雑煮100選」(女子栄養大学出版部)というムック本。文化庁主催の同名コンテストに出品されたお雑煮を地域別に紹介することによって、日本におけるお雑煮の集大成となっている書物であります。ここには、とち餅と花カツオだけのシンプルな鳥取県のお雑煮や、酒粕の汁に鮭やいくらを入れた北海道の酒粕雑煮、松茸の香りが香ばしい山形県の松茸雑煮等々、地域色豊かな日本の伝統の味が紹介されていきます。かと思うと、まったくの思いつきで始めたトンカツ入りのお雑煮が定番となってしまった新潟の家庭のトンカツ雑煮。これはなんと、審査員特別賞を受賞した名作(?)だそうです。

 地方の伝統を活かしつつも、生活の知恵や家庭内の食事作りの権力争いによって各家庭ごとにまったく違った進化を遂げるお雑煮という食べ物。子供の頃は田舎で正月を迎えると、どうもいつも食べてる味と違うのが違和感を感じていたものですが、今では本書で紹介されるお雑煮の数々をぜひ食べてみたいと思うのは私だけでありましょうか? お雑煮というのは、その名の通り何を入れてもいい雑っこ煮である。だからこそ、奥行きがあって楽しいし、作り手の個性が表れる。そんなことを痛感させてくれる本でありました。


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メディアのあり方を考える [ノンフィクション]

 メディアリテラシーというコトバは、最近では日本 の心ある教育関係者の間でもすっすり定着し始めているようです。訳すると「メディアを批判的に理解していく学習」ということになるでしょうか。メディア社会に生きる私たちにとって、ニュースやコマーシャルなどの映像がどのような目的のもとに、いかなる過程を経て作られているかということを学ぶことは、基本的読み書きと同様に重要な教育である。メディア先進国であるアメリカオやイギリスでは、そんな認識のもとに教育カリキュラムの中にメディア教育が盛り込まれているらしいのです。菅谷明子「メディアリテラシー」(岩波新書)では、そんな諸外国の活動を具体的にレポートし、日本の情報教育の今後のあり方について問題を投げかけています。

 コマーシャルを見ながら、先生と子供たちがその映像の疑問点を語り合っていく。「食べ物のCMは、どうして黒人はでてこないのか」「化粧品の雑誌広告は、綺麗な写真を見せるだけで何を訴えているのかよくわからない」・・・・・これは、本書で紹介されている外国の教育現場のほんの一例です。このようなメディア論を「国語」の授業の中で堂々と闘わせているという、レベルの高さ。メディアに流れる情報というのは誰かがある目的の元に恣意的に流している事実であって、それが現実の全てではない。それを理解することが、現代社会に生きる者にとって必須の能力であるという共通理解が徹底しているために、「国語」の授業でメディア論を展開するという発想が生まれてくるわけです。

 なにより注目すべきことは、本当に楽しそうな実践的な授業内容そのもの。メディアを批評するためには、自分たちで番組を作ることが一番わかりやすいわけですね。そのためには、ニュース番組やコマーシャルを現実のテレビ局の仕組みにあわせて(クライアントからの要求やスポンサー資金の流れもきちんと経験させながら)実際に作ってみるというのです。まるで専門学校のメディア教育の現場のようであり、こうした実践活動を体験した子供たちは、自然とメディアの裏側にある真実やウソを読みとる能力が育っていくというのも頷ける話です。

 インターネットの発展、さらにパソコンを使ったビデオ制作の発展によって、やる気さえあれば個人テレビ局も立ち上げることができるようになった現在。そんな時代背景があるからこそ、本書で語られているような先端のメディア教育を受けた子供たちが、大人になってどのような情報発信をするようになるのか非常に楽しみでもあります。メディアリテラシーの目的はなにもマスメディア自体を否定することではなくて、情報発信のあり方をみんなで考えていくことなのだから。


メディア・リテラシー—世界の現場から


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現代の知能犯に捕まらないために [ノンフィクション]

 最近、巷を騒がす「オレオレ詐欺」。何故あんな単純な手口に、日本中の老人たちが騙されてしまうかと、ニュースを聞く度に不思議に思う人も多いと思います。突然電話かがかかってきて「オレだよ、オレ。実はさ、事故にあっちゃってさ。すぐお金が必要なんだけど、いますぐ振り込んでくれないかな?」なんて一言で、どーして何十万円もの大金を送ってしまうのか? 警視庁の報告によると、昨年一年間の「オレオレ詐欺」検挙件数は、なんと6,504件。被害総額は43億1800万というのだから、恐れ入ります。そのほとんどが交通事故を装った示談金名目であり、手口はもはや誰の目にも明らかなのに、今日もどこかで被害に遭っている人がいるらしいのです。

 久保博司「詐欺師のすべて--あなたの財産、狙われてます--」(文春文庫)には、「オレオレ詐欺」に代表される現代の詐欺師の全取り口を公開する本邦初公開の書物です。詐欺と一言で言っても、その手法やレベルはピンからキリまで。ヒ素入りカレー事件で公判中の林真須美被告などは保険金詐欺の典型だし、土地や株、手形を転がして大儲けを狙う大物詐欺師は後を絶たない。架空会社をこしらえて大規模に商品を仕入れ、あっという間に消え去ってしまう商品パクリ屋というのもごろごろ存在するようです。どの詐欺師にも共通していえるのは、演技力の見事さでしょうか。なにしろ詐欺の基本は自分を騙すことから始まる、つまりウソがウソでないと思えるほどに自分を虚構の世界に没頭させることが彼らの仕事の第一歩だというのですから、まっとうな人間はひとたまりもありません。

 しかも最近の詐欺師が厄介なのは、普通に生活していても次々と新しい手口でわれわれの財産を狙ってくることであります。「オレオレ詐欺」は老人向けとしても、インターネットのオークションサイトにおけるトラブル(インチキ品を買わされたとか、商品が送られてこなかったとか)、買ってもいない商品が着払いで勝手に送りつけられてしまうトラブルに(一度払ってしまうと、代金の返金はできないらしいですよ)、見てもいないアダルトサイト閲覧料金の請求ハガキが勝手に送られてくる事件(これ、私のところにも来ましたよ!)など、詐欺の手口はますます巧妙になってきています。いつどこで、自分も彼らの標的になるかまったくわかりません。専門知識を駆使し、法の抜け穴を巧みにかいくぐる知能犯たちにやられないためにも、本書を読んで、詐欺師たちの手口をとりあえず勉強し、彼らの魔の手から逃れられるように準備しておくことをオススメいたします。


詐欺師のすべて—あなたの財産、狙われてます


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ホンモノの芸術を理解するために [アート]

 アウトサイダーアートと呼ばれる作品群があります。簡単に定義すると、「精神病患者や知的障害者など、正規の芸術教育を受けたことのない作家による独自自習によるアート」ということでしょうか。こうした作品は、20世紀初頭にヨーロッパの精神科医によって発見されたとされ、現代アートが閉塞的状況を迎えるなかで、近年はますますアウトサイダーアートに対する注目が高まってきました。日本では財団法人たんぽぽの家の理事長である播磨康夫氏によって、知的障害者の作品を「エイブルアート」と命名され、生命の衰弱した現代空間に躍動感を与えてくれる魂のアートであるという価値観を広めてきました。服部 正「アウトサイダーアート」(光文社新書)は、そんなアウトサイダーアートの歴史と具体的な作家についての概略をわかりやすくまとめた本です。

 以前に「お騒がせ贋作事件簿」の紹介の時にも指摘しましたが、日本ではアートを純粋な作品の価値観だけで評価する土壌がまるでないのが現実です。「私、絵のことはわからないので・・・・」「芸術センスはゼロなんですな・・・・」などと公言してはばからないおじさまたちがごろごろいて、そんな彼らが金に任せて大家の名作を買いあさっている。だから贋作をつかまされてざまあみろ(笑)ということになるわけですが、文化の育成という観点から考えると、そろそろアートを見る眼をもっと多くの人たちが培う必要があるのではないでしょうか。

 アートを見る眼を育てること。これは、作家名や美術史に名を残す名作ばかりを見ようとせずに、自分の感性だけを信じて、自分にフィットする作品を見つけて純粋に鑑賞を楽しむことであります。アウトサイダーアートほど、それに適したアートはありません。はじめは少しとまどうかもしれないけれど、これまでの美術教育の知識を捨て去って作家が表現しているモノを単純に見ていただけきたい。鮮やかなパステルで何百回と塗り込まれたぐるぐるの輪や、大きな紙に細かくびっしりと書き込まれた「漢字の宇宙」。マジックで様々な形に色を塗りつぶしただけの不思議な色彩のパズル。これらが何となく面白いと感じ取ることができれば、もうアートを鑑賞できる眼力が備わりつつあると言っていいのです。本書の副題にあるように、それらの作品には「現代美術が忘れたホンモノの美」があるのですから。


アウトサイダー・アート


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救命医療の現場から人間の生を考える [医学・サイエンス]

 救命救急センターの夜は忙しい。平穏な夜などほとんど無きに等しく、突然とんでもない状態の患者さんが搬入されてくるのです。この日に運び込まれてきた患者の状態は、ダンプにひかれた男性。頭蓋骨骨折、左急性硬膜下血腫、脳挫傷、右多発肋骨骨折、右肺破裂、右血気胸、右下肢轢断、左大腿骨及び骸骨の解放骨折という重体です。要は、頭から体から血まみれ。右足はちぎれて、左足も皮一枚でつながっている状態。徹夜の手術の結果、なんとか一命を取りとめたものの、脳挫傷が激しくて、意識回復にはほど遠い状態。その後も何度も手術を繰り返し、搬送時には考えられなかった奇跡的な回復を見せた。とはいっても、もちろん意識レベルは低く、その後の回復もあまり多くを望めない。この状態に加えて、傷口から混入した菌によって左足が壊死に陥りだした。このままだと命が失われる危険性があり、医師はさらに左足の切断手術を提案する。患者の命を守るためには、当然のことだ。しかし、その時家族は「もうこれ以上、お父さんを傷つけないでくれ」と泣き叫び、結局手術の同意は得られずに、重体の患者はそのまま命を全うしたのであった・・・・・。

 浜辺祐一「救命センター当直日誌」(文春文庫)は、現役の救命センター医である作者による、こんなエピソードが満載されたエッセイ集です。以前にも「救命センターからの手紙」という書を取り上げたことがありましたが、本書ではさらに具体的な医療現場の事例を取り上げ、医療の現場から人間の生のあり方、医療のあり方を問いかける真面目なレポートとなっています。先に取り上げた事例など、医療は何を目指すべきなのかという実に難しいテーマでしょう。救命の可能性が残っている限り、たとえそれが低い可能性であっても処置を続けるべきだというのが教科書的な医療の考え方。しかし救命の現場では、それが患者や家族にとって最良の選択でないということもありうるのだということを、救命医たちはよく理解しているのです。

 全編がこのように、現実にあったエピソードから医療の本質を問いかける内容のヒューマンドキュメント。現場の医師ならではの問題意識に満ちあふれたテーマばかりであり、そんじょそこらの小説よりもよほど「人間の生のあり方」を考えさせる内容になっています。それでいて、どんな深刻なテーマを扱う時にも感じられる作者独特のユーモア感覚。文章も実に軽妙で洒脱。さらに迫真の医療現場の描写の数々。「ER」や「救命救急24時」といったテレビドラマも面白いけれども、浜辺氏のエッセイを読んだら所詮は作り物の感を否めなくなるでしょう。なんでこんなに忙しいドクターが、このような完成された作品を書くことができるのか。まったく不思議としか言いようがありません。「最近、面白い本ありませんか?」と聞かれたら、まさに即答で本書を推薦させていただきましょう。


救命センター当直日誌


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世界で初めて指紋を発見した男たち [ノンフィクション]

 1905年、イギリス。世界中の警察関係者が注目する歴史的裁判が始まっていた。その名をストラットン裁判。塗装店を経営する老夫婦を惨殺したとして起訴されたストラットン兄弟の罪を問う裁判である。検察が挙げる証拠は、数人の目撃証言をのぞくと金庫に残された兄弟の指紋だけ。この指紋によって被告を死刑に処すべきかどうかという、世界初の「指紋の証拠能力」を問われた裁判であったのだ……。

 コリン・ビーヴァン「指紋を発見した男」(主婦の友社)は、このように指紋にまつわる「はじめて物語」をきわめて推理小説風にまとめたノンフィクションであります。現在では、犯罪者の特定に圧倒的な効力を発揮する証拠である指紋ですが、100年前にはなにやら怪しげな紋様にしかすぎず、こんなモノによって被告の生死を決定するなど言語道断であると多くの警察関係者に否定されてきました。

 かといって、彼らが行っていたのはあくまで記憶に頼るヒトの識別法であり、精度はすこぶる低いものにすぎない。当然、再犯者の特定などほとんどできないために、困窮のためやむを得ずおこなってしまったコソ泥も、名前を変えて銀行強盗を何度もやらかす大強盗も、罪の重さは同じにすることしかできません。神の前で煮えたぎる湯に腕を浸し、その火傷の具合によって犯人かどうかを決定するといった中世ヨーロッパの神明裁判とあまり変わらないような前近代的な法廷が長い間続いていたわけなのです。

 犯罪と闘う道具としての指紋の普及が急がれるのは、こんな当時の裁判実態があったからなのでした。しかし、指に刻まれた紋様によって個人を特定するという理論を、陪審員たちにいかに理解させることができるのか。人物特定に関する技術としては他に身体測定法(人体のあらゆる部位の詳細サイズを測ることによって個人を識別する科学的な手法)との技術論争や、指紋の発見者としての地位をめぐる研究者同士の対立も絡み合い、裁判は実にスリリングに進行していきます。

 DNA鑑定という新しい武器が備わった現在でも圧倒的に普及している指紋というテクノロジーの重要性が、本書を通じて改めて浮き彫りになりました。加えて、指紋をめぐる研究者たちの喜悲劇。近代犯罪科学捜査の基礎としてきわめて重要な役割を果たした「指紋」は、その影響の大きさ故に研究者たちの間で発見者としての栄誉をめぐって壮絶なバトルを繰り広げてきたのでありました。本書は、政治力のなさから不遇に扱われてしまった真の発見者ヘンリー・フォールズに捧げる鎮静歌ともいえるでしょう。


指紋を発見した男—ヘンリー・フォールズと犯罪科学捜査の夜明け


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いま甦る「科学」と「学習」の世界 [医学・サイエンス]

 科学を遊ぶというテーマが、ただいまブームのようであります。火付け役は、なんといってもテレビでもお馴染みのでんじろうこと、米村傳治朗先生。氏が出演する科学ショーは、いつでもどこでも大盛況を博していて、こんなにも子供たちは科学する心を持ち合わせていたのだということを、改めて痛感してしまいます。大人が見ても先生のパフォーマンスは充分楽しめるしね。

 ところで私たち大人にとって、科学する心を養ってくれた原点は何だったのでしょうか? 答えは言わずもがな。学研の「科学」と「学習」という学習雑誌だったと思うのです。とくに毎月ついてきたプラスチックの豪華な教材が、魅力的でした。ついてくる教材の種類によって、今月は「科学」と「学習」のどちらを買おうか、「エーイ、両方買っちゃえ」なんてリッチなお子さまたちもいましたねー。(超うらやましかったなあ…)

 左巻健夫・監修「科学実験キット&グッズ大研究」(東京書籍)は、そんな子供のころの想い出をくすぐるような実験キットを入手するための総合案内となっている書であります。現在、学研では「大人の科学」として、からくり人形や蓄音機の高額な玩具キットを発売しているのは知っているけれど、「アリ飼育セット」とか「日光写真」とか「手作り豆腐セット」とか「ウソ発見器」なんて懐かしの教材をいまだに発売している業者があるなんてことは知りませんでした。本書では、それらの玩具を使って科学として遊ぶためのヒントや学習法をまとめてくれています。まさに子供たちと遊ぶためのお父さんの必読書。事前に勉強して、偉そうな姿をどーんと見せてあげてくださいな。

 しかし本書で取り上げた玩具たちは、大人が見ても思わず購入したくなってしまうモノがいっぱい。ギアチェンジして自動的にロープ上を往復する「ロープウェイ工作セット」とか、ハイハイの赤ん坊から二足歩行に至り、知能も少しずつ成長するというハイテクロボット「PINO」とか、蒸気を湧かしてシュシュポッポ音を立てながら走っていく蒸気機関車「ベビーエレファント号」等々…。こんなに高度なキットなのに、いまや誰でも買えてしまうくらいの価格で提供されていることが恐ろしい。時代はこうも変わってしまったのか。「科学」と「学習」を親に買ってもらえなくて一人寂しく帰宅したという暗い過去を持つ貴方。そんな人ほど、夢中になりそうな内容を提供している本であります。


科学実験キット&グッズ大研究—科学を遊ぶ達人が選んだ


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あなたは、もしかして前科者かもしれない!?  [ノンフィクション]

 いきなり、過激な質問でご免なさい。しかし、あえて聞いてしまいましょう。「あなたの前科は、何犯ですか?」・・・・・こんなことを聞いてしまったのは、理由があります。高山俊吉「道交法の謎」(講談社α新書)に、恐るべき一文が記載されておりました。以下、少し長いですが転載しましょう。

 「(交通違反には、駐車違反などの青キップと過剰速度オーバーなどの赤キップに別れていることを説明した上で)ところで、赤キップは反則金ではなく、刑罰の一つである罰金刑が科せられます。刑罰には5種類あって、死刑が一番重く、それから順に懲役、禁固、罰金、科料となります。罰金刑は当然、前科にカウントされます。前科は戸籍に載るわけでもないし、一般には公表されなませんが、刑を決める時の資料としては使われます。多くの人が、自分には前科などない、と信じているかもしれませんが、かつて一度でも赤キップによる処理をされたことのある人なら、その人は"前科者"ということになります・・・」

 なんということでしょう。正式には「交通反則告知書」と呼ばれる青キップと違い、道路交通違反事件迅速処理のための共用方式」である赤キップは、立派な事件であり、道路交通法上は立派な犯罪として扱われていたというのです。しかしながら私たちの感覚としては、切符を切られても「なんてアンラッキーだったんだ」としか思わないのも事実でしょう。それは、道交法という法律が実態を無視して、ドライバーに過剰な規制を強い、不意打ちの取り締まり、裁判抜きの処分というまるで独裁国家のような仕組の中で運用されてきたからなのであります。 

 著者の高山氏は、交通専門の弁護士さん。長い間警察と法廷で戦ってきた経験を活かし、本書で「道交法のナゾ」について様々な見地から私たちに語りかけてくださいます。たとえば、「反則金は年間収入が800億円。その収入の使い道は?」「パーキングメーターは、法律上許されるのか?」「正しいと思うなら、反則金を払うな」等々。これまでなんとなく「仕方ないナー」と思っていたことも、実はよくよく考えてみると本当に警察による勝手な弾圧であったこが理解できることでしょう。国民の7500万人がドライバーとなっている現在。そして道路交通法の改正によって、ますます罰則が厳罰化され、さらには駐車違反取り締まりの民間委託などが実施されようとしている現在、私たちももっと真剣にこの法律についての知識を得る必要があると思いました。そうでないと、いつの間にか「前科5犯の大悪人」に記録上はされてしまうかもしれないからね。


道交法の謎—7500万ドライバーの心得帳


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