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ピュアな純愛物語の最高傑作 [小説]

 小説を読む醍醐味。これは何と言っても、その世界、時代にタイムワープしたかのような感覚に陥ったときにあるのではないでしょうか。とはいっても、そんな恍惚感を味あわせてくれる本というのはなかなかないわけですが。とくに最近は、幼い頃に夢中で小説の世界に入り込んだような体験──ワクワクドキドキしながら、読書中は時間が止まったように感じ、終わった後もため息をつくような満足感──がどんどん薄れていくような寂しさを感じています。こう思うのは、私だけではないのでは? 

 しばらく面白い本を読んでいないなあ。たいして読みたい小説も出版されないし。そうお嘆きのあなた、お待たせしました。本日は、トレイシー・シュバリエ「真珠の耳飾りの少女」(白水社)をご紹介いたします。昨年映画化されて話題にもなったので、小説よりも映画をご覧になった方が多いかもしれません。映画も良くできていたけれど、できれば原作を読んでいただきたい。私の読後感想的に言いますと、デイケンズの「ディビッド・コパフィールド」を読んだあとに感じたような、最大限のウルトラ特Aクラスに属する小説でありました。

 物語は、フェルメールの同名タイトルの作品(小説の表紙になっている絵画です)のモデルとなった少女が主人公。女中として雇われた彼女が、天才画家に淡い思いを寄せ、名画のモデルとなるまでを描くという設定です。このモデルの少女の存在については専門家の間でもケンケンガクガクの論争が繰り広げられているらしいので、本書の設定はまったくのオリジナル。フェルメールというオランダを代表する国民的画家の生活という史実を忠実に下敷きにしながらも、「真珠の耳飾りの少女」という一枚の絵画から感じ取った作者の勝手な空想を、魅力的な少女フリートの物語として紡ぎ出してくれました。

 少女から見た天才画家の生活。そして彼が描く素晴らしい作品の数々。画家にその色彩に関するセンスを見初められた少女は、家事手伝いから画家の仕事の手伝いをするようになり、次第に作品の構図について意見を語るような存在にまで成長していきます。そしてついに訪れた、モデルとしての初仕事。密かに想いを寄せる旦那様のために、フリートは恐れ多くも奥様の大きな真珠の耳飾りを身にまとう。そのために耳朶に穴を空けるということが、どんなに苦痛であるか、旦那様はご存じない。彼女は、ついに決死の思いで耳朶に針を刺していく・・・・・。無垢の少女が大人の女に変身する姿を描いたこのシーンは、本当に美しい。私が大好きなピュアな純愛物語そのものであり、歴代の恋愛小説の代表的シーンとして語り継がれることでありましょう。

 一枚の絵画からよくぞここまで想像を膨らませることができるものだと、作者の小説家としての才能に「ナイス!」を100個ぐらい差しあげたいと思います。そして名画ファンならずとも、フェルメールの画集を傍らにして読みふければ、しばしの間17世紀オランダの町並みにタイムワープする時間を満喫できること請け合いの、最高に楽しい小説であります。


真珠の耳飾りの少女


もし夢の世界が現実より楽しくなったなら? [小説]

 昨日、久々に懐かしいヒトの夢を見た。学生時代に好きだった女の子の夢だ。二十年ぶりに見る彼女は相変わらず美しく、それでいてちょっとクールなつれない態度も変わっていなかった。せっかく食事に誘い出したのに、いざ逢ってみると別の用ができたということで、すぐに帰ろうとするではないか。私は必死に次回逢う約束を取り付けようと、アプローチを試みる・・・・。

 夢は、ここで覚めた。なんで今頃こんな夢を見るのか理解できません。別に今でも未練があるとか、秘めたる想いがあるわけでも全然ないですよ。(心理学者風情に分析させると、そんなこと言われそうだけど)でもね、もし毎日、同じ夢を見ることになったとしたら、どうでしょう? しかも、夢は今日の続きで、ストーリーとして確実につながっているとしたら? 夢の世界の動きは刺激的だから、明日の展開がどうなるのかワクワクして、現実に生きることよりも眠ることの方が楽しみになっていくかもしれない・・・・。

 エドモンド・ハミルトン「フェッセンデンの宇宙」(河出書房新社)というSF短編集のなかにある「夢見る者の世界」が、まさにそんなストーリーなのです。主人公は、さえない保険会社の事務屋のヘンリー・スティーブンス。結婚もし、それなりに安定した生活を送っているのだが、人生に夢も失っている。それに対して、毎日必ず夢の中で現れる世界は、砂漠の中でさっそうと民族間の闘いを指揮する男・カールカン。さえないサラリーマンは、夢の中ではスーパーヒーローに変身してしまうのだ。無敵の軍隊を自ら統率し、敵国の絶世の美女姫を奪い取り、祖国統一のために奔走する日々……。

 ヘンリーが見る夢は、いつもカールカンとして生きる世界であり、実にスリリング。必ず、話につながりがあり、あまりのリアルさ故に、どちらが現実で夢なのか、だんだん理解しがたくなってくる。それどころか夢の世界に早く入りたくて、仕事もそっちのけで夕方から床に就くという異常な生活に。しかし、やがてカールカンの世界にピンチがやってくる。油断した隙に反乱軍が毒矢を使って、我が城は壊滅的打撃を受けたのだ。カールカン、最大のピンチ。敵はもはや、目の前で最後の総攻撃に備えている。もし夢の中の彼の国が滅びてしまったら、夢を見ているはずの自分=ヘンリーはどうなってしまうのだろう?

 夢と現実という、誰もが体験したことのあるテーマを元にして、実に面白い切り口でまとめた小編です。こんな小説を読んだから、変な夢を見たのかもしれないな(笑)。本書にはこの他にも「宇宙の外には、もしかして巨大な神がいて、我々の世界を監視しているのかもしれない」という子供が必ず空想する世界を具体化した名作「フェッセンデンの宇宙」や、眠りから目覚めると棺の中にいた"死んだはずの男"が目を覚まし、元の家族の元に帰ろうとした時に見てしまった悲劇を綴った「帰ってきた男」等々、エドモンド・ハミルトンという作家の奇想短編の名品が勢揃いしています。この手の本を読みすぎるとまた変な夢を見そうで良くないのですが、それでもやはり没頭したくなってしまう。ハミルトンの短編は、そんな不思議な魅力を持つ世界なのでした。


フェッセンデンの宇宙


読んで楽しい、見て美味しい。 [小説]

 本の装丁というのは不思議なモノでして、本の内容とはまったく別なのはわかっているのに装丁の美しさだけで「面白ソー」と思えてしまう書物というのが、確かに存在します。読んでみて「だまされた」と思うこともしばしばなので、あまり装丁で判断するのもいかがなものかとわかってはいるのですが、やはり書店の店頭で出会った時の第一印象って、読者の購買意欲を刺激してしまいますよね。

 本日ご紹介するアレックス・シアラー「チョコレート・アンダーグラウンド」(求竜堂)は、そんな観点からするとまったくお見事な装丁デザインで成功を収めている書物の代表株。チョコレートをテーマとした小説に合わせて、外から中まで、チョコレートブラウン一色。見返しや、本扉、口絵ページ(本書では、登場人物の解説に使用)には、高級ブランドの贈答用包装紙のようなチョコレートブラウンの筋入りの用紙が使われている凝りようです。本文インキも、もちろんチョコレートブラウン!! 本をペラペラめくっていくだけで、甘ーい香りが書物から漂ってきそうなイメージを醸し出しているのです。

 この小説の中味はといいますと、舞台はイギリス。選挙で勝利をおさめた「健全健康党」が「チョコレート禁止法」なる法律を発令した、という事件から物語は始まります。健康に害のある甘い食べ物は、人類の敵である。これらを食べる悪癖を国民から抹殺させるために、違反した人には重罪を課すことにしたのです。まるでナチス政権下のドイツのように、チョコレート禁止違反者を探し出しては迫害し続ける健全健康党。震え上がる大人たち。しかし、そんなおかしな政治のあり方に反旗を翻したのは、チョコレートが大好物であるハントリーとスマッジャーという少年であった。彼らは、危険を冒してチョコレートを密造し、仲間達で楽しむための「地下チョコバー」を始めることにした……。

 という、なんともヨダレが出てきそうなストーリー(甘いのが苦手な人は、つらいだけか?)。そういえばロアルド・ダール「チョコレート工場の秘密」(評論社)も読むだけでチョコが食べたくなること必須の童話だったけど、本書もまさにチョコ好き必読の甘くてロマンあふれるファンタジーになっています。子供向けの童話でありながら、政治に対する風刺もたっぷりで、「悪が栄えるためには、善人が何もしないでいてくれればそれだけでいい」という18世紀イギリスの政治家エドマンド・パークの言葉を楽しいお話しの中に見事に盛り込んでいます。しばし童心に返って、子供の頃の純粋な心で読み進めることをお勧めいたします。

 ところで本書の装丁ですが、インクにもチョコの香りをつけたりしたら、もっと効果的だったし、バレンタインデーの贈り物にも最適の一品になったかも・・・・。ただですら美味しそうなのに、そこまでしたら本当に本書を食べるヒトが出てくるから駄目なのか(笑)?


チョコレート・アンダーグラウンド


金さえあれば、全ては解決!? [小説]

 マカロニ刑事やジーパン刑事から始まった特殊キャラの刑事ドラマも、いまやラーメン刑事にケータイ刑事の時代です。さらにそれらをあざ笑うように登場したのが、富豪刑事。これには笑ったね。大富豪のお嬢様がなぜか警察に就職し、富豪ならではの奇想天外なアイデアとふんだんに自分のお金を使った捜査法で難事件をバッサバッサと解決してしまう……。しかも主演は、独特のおとぼけキャラがコメディタッチのドラマに見事にはまっている深田恭子。いや、これは実に期待が持てそうだ。と、このドラマが放映されるのを楽しみに待っていた私でありました。

 ところが、であります。ドラマを実際にご覧になった方はもうご存じでしょうが、最近のフカキョンの主演作にしては、これはあまりの超駄作。脚本があまりに戯画化されすぎていて、彼女の持つ「そこはかとない」面白さが表現されていないのはちょっと残念でありました。そうはいっても、「ちょっと、よろしいですか?」とか「たった一億円ぽっちのために、こんな事件を起こすなんて…」とかいう名セリフを口にする彼女は十分可愛かったので、楽しみに見ていた人もそれなりに多かったみたいですけどね。

 ところでこのドラマ、原作は筒井康隆の「富豪刑事」(新潮文庫)という小説です。ユニークな主人公の設定から原作がマンガだと思われている向きも多いのですが(じつは私もそうでした…)、筒井ファンなら誰でもご存じという有名なミステリー小説なのでした。この世で万能なのは、なんといっても金の力。靴底をすり減らして聞き込みをする従来の捜査手法など、くそ食らえ。捜査に必要とあれば、そのためだけに新会社をビルごと新たにつくって犯人をおびき出し、ヤクザの集まりの警備を楽にするためにはホテルをまるごと買い上げて彼らに提供してしまう。密室殺人、アリバイトリック、人質事件、なんでもござれ。金を湯水のごとく使いまくれば、難事件もあっという間に解決だあ。このような極端な発想とストーリー展開は、まさに作者の真骨頂というべきものでしょう。

 さまざまなミステリーの常套手段やトリックの数々を、「金にまかせて」次々解決してしまう富豪刑事。これは明らかに既存ミステリーのパロディです。近年でいうならば、ホリエモンに代表される金権社会への筒井流のメッセージと言えるかもしれません。普段あまりミステリー小説なるモノを読まない私ではありますが、逆にだからこそ作品中にいくつも散りばめられたセリフの数々に作者の痛烈な皮肉を感じ、大いに楽しませていただきました。先日のドラマを見ても「なんじゃ、こりゃ?」と一笑に付された方々にも、「ちょっと、よろしいですか?」とばかりに(笑)、本書を差し出してご一読を薦めたい一冊でございます。


富豪刑事


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