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韓流ドラマのノベライズ本を読んでみた。 [韓流ドラマ]

 出版界においても、韓流ブームの嵐は吹き荒れているようです。初めは冬ソナブームに目を付けた一部の出版社が、ドラマの関係書籍を発行する程度のことでした。しかしいつの間にか、韓流スターのムック本とか、写真集、さらには映画やドラマのノベライズ本などが相次いで出版され、いまや書店でも最も目立つ位置の平台を席巻する勢いです。あっ、もちろん我が岩波ブックセンターでは、多分一冊も置いてはいないでしょうが……(笑)。

 さらに最近、私は竹書房文庫からマニアックな韓流ドラマのノベライズ本がシリーズとして、どどーんと出版されていることを知ってしまった。ラインナップもスゴイのです。「真実」「マイラブパッチ」「ロマンス」「秘密」「ホワイトバレンタイン」「イルマーレ」「ドクターズ」等々、コアなファンにはヨダレが出そうな名作の数々が、文庫という廉価な価格で勢揃い。驚くことに最近では、これら竹書房文庫が角川や新潮文庫と並んで最新刊文庫コーナーに堂々と配置されているではありませんか! 竹書房文庫も、エラくなったもんだ。昔は書店の隅で数少ないマニアが探してくれるのをじっと耐えてる日陰の存在だったのに。

 というわけで、今回は私の趣味全開で、これら最先端韓流ドラマのノベライズ本の中から竹書房文庫のシリーズを読んでみることにしました。選んだのは、私もまだ見ていないドラマで、なおかつ好きな女優さんが二人も出ている「日射しに向かって(上・下)」(竹書房文庫)。文庫の小説を読むのに好きな女優は関係ないじゃないかと思われるかもしれませんが、さにあらず。本文庫の最大の特色は、なんといってもカラーグラビア。ドラマの名シーンのスチール写真がたんまり収録されたカラーページが冒頭に8ページもついていて、この写真目当てに買い込むファンもきっと多いだろうなと想像するのです。(何を隠そう私自身、「ガラスの靴」のイ・ソヌ役が印象的なたキム・ヒョンジュの写真がほしくて買いました、ははは…)

 物語は、単純明快。大企業会長の御曹司として何不自由ない生活を送るインハ。幼い頃両親を亡くし、叔母夫婦のもとで貧しくも懸命に生きる優等生のヨンヒ。ヨンヒの幼なじみで貧しさから裏社会に足を踏み入れるミョンハ。財閥会長の愛人の娘として裕福ながら寂しい生活を送るスビン。この四人の若者たちが出会い、運命に翻弄されながらも自分たちの生きる道筋を探っていくという人生模様を描くという典型的な韓流ドラマのパターンであります。貧富の差や出生の秘密、意地悪な継母、三角関係といった「お約束ごと」は、もちろん健在。こんなことは韓ドラファンには、宝塚が女性だけで構成されているのと同じような基本的ルールなのでありますよ(ホントかね?)。

 お話しは例によって例のパターンで進行し、最後はハッピーエンドで終わるので、これ以上内容についてあれこれご託を並べるのも意味はない。大体、本書の価値はそんなところにないのだと思うのです。というのもこの小説、テレビドラマの台本を元に(ドラマを観ながら)日本の作家がノベライズ化したものだとか。なるほど、どうりで登場人物の描写が、俳優さんのイメージを見事に映し出せているわけです。読者はグラビアページの写真を眺めつつ、まるでドラマを観るがごとくに小説世界に入り込むことができる仕組みになっている。でも欲を言わせてもらうと、ドラマに出てくる特徴的なセリフをいくつか紹介し、簡単韓国講座みたいのがおまけでついていたら、もう完璧なのではあるまいか? 大好きなドラマの想い出を手元に残したい人には、必需品となったことでしょう。竹書房文庫の方々、コアなファンの一人として要望いたします。ぜひ検討してみてね。


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金さえあれば、全ては解決!? [小説]

 マカロニ刑事やジーパン刑事から始まった特殊キャラの刑事ドラマも、いまやラーメン刑事にケータイ刑事の時代です。さらにそれらをあざ笑うように登場したのが、富豪刑事。これには笑ったね。大富豪のお嬢様がなぜか警察に就職し、富豪ならではの奇想天外なアイデアとふんだんに自分のお金を使った捜査法で難事件をバッサバッサと解決してしまう……。しかも主演は、独特のおとぼけキャラがコメディタッチのドラマに見事にはまっている深田恭子。いや、これは実に期待が持てそうだ。と、このドラマが放映されるのを楽しみに待っていた私でありました。

 ところが、であります。ドラマを実際にご覧になった方はもうご存じでしょうが、最近のフカキョンの主演作にしては、これはあまりの超駄作。脚本があまりに戯画化されすぎていて、彼女の持つ「そこはかとない」面白さが表現されていないのはちょっと残念でありました。そうはいっても、「ちょっと、よろしいですか?」とか「たった一億円ぽっちのために、こんな事件を起こすなんて…」とかいう名セリフを口にする彼女は十分可愛かったので、楽しみに見ていた人もそれなりに多かったみたいですけどね。

 ところでこのドラマ、原作は筒井康隆の「富豪刑事」(新潮文庫)という小説です。ユニークな主人公の設定から原作がマンガだと思われている向きも多いのですが(じつは私もそうでした…)、筒井ファンなら誰でもご存じという有名なミステリー小説なのでした。この世で万能なのは、なんといっても金の力。靴底をすり減らして聞き込みをする従来の捜査手法など、くそ食らえ。捜査に必要とあれば、そのためだけに新会社をビルごと新たにつくって犯人をおびき出し、ヤクザの集まりの警備を楽にするためにはホテルをまるごと買い上げて彼らに提供してしまう。密室殺人、アリバイトリック、人質事件、なんでもござれ。金を湯水のごとく使いまくれば、難事件もあっという間に解決だあ。このような極端な発想とストーリー展開は、まさに作者の真骨頂というべきものでしょう。

 さまざまなミステリーの常套手段やトリックの数々を、「金にまかせて」次々解決してしまう富豪刑事。これは明らかに既存ミステリーのパロディです。近年でいうならば、ホリエモンに代表される金権社会への筒井流のメッセージと言えるかもしれません。普段あまりミステリー小説なるモノを読まない私ではありますが、逆にだからこそ作品中にいくつも散りばめられたセリフの数々に作者の痛烈な皮肉を感じ、大いに楽しませていただきました。先日のドラマを見ても「なんじゃ、こりゃ?」と一笑に付された方々にも、「ちょっと、よろしいですか?」とばかりに(笑)、本書を差し出してご一読を薦めたい一冊でございます。


富豪刑事


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痴漢犯人にさせられた男の物語 [ノンフィクション]

 いよいよ日本も本格的に女性専用車両が導入される時代になりました。連休明けから首都圏でも本格的に電鉄各社が朝のラッシュ時に女性専用車両の導入を決めたという昨日のニュースを見て、ほっと一息。感慨にふけった女性たちも多いのではないでしょうか? 左様、それほどまでに昨今の首都圏電車での痴漢被害はひどいらしい。満員電車にかこつけて、うら若き女性達のお体にタッチする(いやいや、それくらいでは痴漢と呼べないね…)などとは、まったく不届き千万。彼女たちの怒りもごもっともでございます。

 しかしちょっと待て。痴漢被害もひどいけど、間違えて痴漢にされてしまった男性たちの悲劇というのも多数存在するんだぞ。鈴木健夫「ぼくは痴漢じゃない!」(新潮文庫)を読むと、一人の女性の「あなた、触ったでしょ!」の一言によって、ごくごくフツーのサラリーマンの人生が怒濤のごとく壊れ果てていく様子が克明に描かれていて恐ろしい気分になってきます。多分、毎日通勤電車に乗っている人なら誰でも起こりうる話であるだけに、人ごととは思えず、読後は思わず身震いすることでしょう。

 事件はある日唐突にやってきます。電車を降りると突然、見知らぬ女性に大声で「痴漢よ!」と叫ばれ、何事かと見つめる周りの冷ややかな目。騒ぎに気付いた駅員に「とりあえず、詳しい話は事務所で」と諭されると、いつの間にか警察がやってきて自分は犯人扱い。否認を続けると、留置場に送り込まれて、ベルトコンベア式に犯人に仕立て上げられていく・・・・。たった一人の痴漢被害者らしき女性の告発によって、目撃者もいない状況の中で、告発を受けた男性陣は絶対的な不利な状況に追い込まれてしまう。なにゆえに「私」が痴漢犯として逮捕されなければならないのか? いくらそう主張しても、現在の法律では痴漢に関しては圧倒的に被害者に有利な状況になっている。極端な話、女性の告発がまるでデタラメでも、叫ばれれば誰でも痴漢犯にされてしまう可能性が大きいというのです。

 鈴木氏が捕まった当時は、痴漢犯罪の罰金刑は五万円でした(現行法では、6か月以下の懲役または50万円以下の罰金)。とりあえず罰金を払ってしまって、やってもいない罪を認めて前科者となり、早急に処理してもらうのか。あるいは鈴木氏のように、断固無実を訴えて戦い抜くか。もしあなたが同じ立場におかれた時には、どんな解決策を選択いたしますか? ちなみに著者の場合には、後者を選択したために無罪を獲得するために二年間の歳月がかかり、その間に会社は強制退社(ほとんど解雇に近い扱い)。それまでの社会的地位や収入は、この冤罪のためにゼロに戻ってしまいました。

 みなさま、本当に通勤電車には気を付けて。本書の後半は、担当弁護士による解説が載っているのですが、もし同じ被害にあった時の対処法として語れることは、「やっていないのなら、やっていないといってください」「事情徴収に応じれば、もうその時点で有罪行きのベルトコンベアに乗ったものと考えられます」「女性があなたが痴漢に間違いないと主張ば、逮捕される確率は高いでしょう」「もちろん起訴されればほとんど有罪になります」というスゴイ内容なのです。痴漢被害に関する、これが日本の法律の現状。一部のスケベなおやじたちのために、多くのまっとうな男性陣はいつでも地獄に突き落とされる危険性と隣り合わせにいるのです。最後に、ひとこと。だからこそ、女性専用車両バンザイ。できるなら、もっと多くの車両が連結されることを祈っております!!


ぼくは痴漢じゃない!—冤罪事件643日の記録


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審判ほどつらい商売はない? [ノンフィクション]

 何かとお騒がせのプロ野球の判定事件。勝負の一級がアウトかセーフか、外野手が前進してスーパーキャッチした打球がワンバウンドかノーバウンドか、はたまた空高く舞い上がった打球がライトのポールを巻いてホームランなのかファールなのか……一つの判定が勝負の明暗を分けるシーンでは、判定をめぐる疑惑やトラブルが数多く起き、グラウンドでの暴力事件にまで発展することはみなさまもよーくご存じですね。

 まあプロ野球にかかわらず、他の競技でも審判の判定トラブルというのは尽きないわけではありますが、なぜか日本においてはプロ野球のそれが際だって話題に上るように思われます。それは果たして、プロ野球が国民的人気を誇るスポーツであるゆえなのか、それとも特殊な構造的原因によるものなのか。織田淳太郎「審判は見た!」(新潮新書)では、この問題を初めて選手側ではなく審判側から捉えることによってプロ野球における審判論ともいうべきものを提示することに成功しています。

 ジャッジは正しくて当たり前。ひとたび誤審でも起こそうものなら、選手や監督からはどつかれ、熱狂的ファンからは命さえ狙われるという因果な商売。マスコミもしょっちゅう攻撃するスキを探っているし、チームのオーナーからも「使用人」扱いされ、もちろん低賃金。選手達はグランドで派手な暴力事件を起こしても数日間の謹慎処分で終わっても、審判はカッとなってマスクを地面にたたきつけるだけで責任を取らされるという理不尽さ。プロ野球の構造改革が叫ばれて久しいですが、球界を影で支えるこのような人たちを邪険にしているようではその衰退も当然のことではありましょう。

 本書はまた、審判の仕事を通じて、プロ野球の裏面を語った面白い読み物でもあります。「暴動を招いた判定変更─狂気の球場からの審判団大脱出劇」「ルールを知らず、大恥かいた某チーム監督」「反感を買ったオーバーアクション─いじめで辞めた名物審判」「試合の途中で腹痛に─トイレ行きたさにゲームセット」「たった二ヶ月で帰国した3A審判」……等々。審判のまわりには、こんなにもユニークな事件や珍事に満ちあふれていたものなのですね。それにしても、審判ほどつらい商売はない? ホント、同情申し上げます。


審判は見た!


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19世紀パリへのタイムトラベルと知的興奮 [エッセイ]

 ちょっと最近軟弱な本が続いてしまったので、自分に「喝」を入れる意味でも、少しお堅い本を一冊。ということで、本日のお題は、鹿島茂「パリ時間旅行」(中公文庫)です。岩波ブックセンターをご贔屓にしてくださる読書家の皆様なら知らぬ人はないほどの先生でありましょうが、恥ずかしながら私は、読ませていただくのは初の経験。しかし、冒頭からぐいぐいと引き込む話術と、文章のうまさ、さらに次々と繰り出される19世紀に関するインテリジェンス・・・・。最近は「エッセイ」という分野は、ともすれば書き殴りの駄文という概念が横行しているだけに、久々に読み応えのある知的なエッセイに出会えた感動でいっぱいになりました。たとえば、「陰翳礼賛あるいは蛍光灯断罪」という一文の出だしを読んでみましょう。

「晩秋のパリは、何日も陰鬱な雨が降りつづくことが多い。おまけにどんどん日が短くなって、朝は九時過ぎまで太陽が昇らず、夕方は四時頃から暗くなってくるので、ボードレールやヴェルレーヌの詩に親しんだ者ならずとも、憂愁の思いにかられて、ついついアパルトマンの中にこもりがちになる。こんなときには、いっそ思い切って夕暮れの中に出てみるとよい。日が落ちるにしたがって、次々に商店に灯がともり、街は日中の陰鬱な雰囲気とはうってかわったような華やいだ景観を呈するからだ・・・・・。

 一般に、フランスの商店は昼の十時から七時頃まで営業している。ところで、夏場は冬場と違って夜の九時頃まで暗くならず、真昼のような青空がのぞいているので、商店に電灯をともるところを見ることはほとんど不可能に近い。これに対し、晩秋には、四時頃から七時まで、照明の華麗なショーを無料で楽しむことができる。それは、シャン=ゼリゼやオペラ座通りといった目抜き通りにかぎったことではない。すぐ近くのなんでもない商店街が、いったん電灯がともったとたん、シェレのポスターのような夢幻劇じみた白熱灯の黄色い光によって、胸をときめかせるような空間に変貌してしまうのである。日中はあまり美味そうにも見えないおかずを並べていた総菜屋はたちまち高級フランス料理のグルメの店に変貌し、冴えないデザインのコートを陳列していた洋装店は最新モードのブティックに変わってしまう。それは、まさに魔女が杖を一振りして、枯木の山を妖精の国に変えてしまうのにも似た魔術的な瞬間である・・・・・」

 それでは、どうしてこのような魔術が現実に起こるのか。それは一にも二にも、白熱灯を中心とするパリの照明のあり方に原因があり、日本における効率優先の蛍光灯照明とフランスの照明の違い、照明工学的効果、さらにはフランスの照明の歴史にまで話は及び、19世紀の文学や絵画に表現されている陰翳効果まで解説が進んでいく。一度話し出したらもう、止まらない。鹿島センセイと共に体験する19世紀パリへの時間旅行ツアーの始まりです。本書では、このような感じで「パサージュ」「街灯」「光」「音」「香水」「清潔」「旅行」「スポーツ」といったテーマに対して切り込みを入れ、19世紀の空気を読者に伝えてくれるのであります。一流のフランス文学者である著者の知性は当然のこととして、文章の巧みさに私は本当に舌を巻く思いでありました。本書を一冊まるごと書き写せば、少しは文章力が上がるかナーなどと、呆然とする思いでなんども読み返している私であります。


パリ時間旅行


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痛快無比な飛行機の旅にようこそ!! [エッセイ]

 「機内暴力」という言葉があるように、飛行機内においても乗務員や乗客に迷惑をかける輩というのはけっこう存在するらしい。それも、ヤクザのお兄さんとか不良高校生とかではなくて、まったく普通のサラリーマンが突然危ないヒトに変身してしまうというのだから、始末に負えないのです。どうして飛行機に乗ると彼らは、そんな変人に変身してしまうのか? そもそも、どんな迷惑行動をおこしてくれるのか? エリッオット・ヘスター「機上の奇人たち」(文春文庫)を読むと、そんな彼らの奇行の数々が「ホントかよ?」と思えるくらいに盛りだくさんに語られ、人間の愚かな一面に改めて気付かされることになります。

 本書の著者であるエリッオット・ヘスターは、大手航空会社に勤める現役のフライトアテンダント。フライトアテンダントとはいっても、制服姿が男心をくすぐる美人のスッチー様などとはまったく違い、長身でスキンヘッドという、見るからにいかつい姿の黒人男性とのこと。彼が乗り込む飛行機内では、なぜだか毎度のように不思議な行為を楽しむお客様(場合によっては乗務員も…)が乗り込まれ、高度三万フィートの上空で事件を起こしてくれるのだという。一体、どんな事件が起こるのかって?

 異様な体臭(まるでゴミ溜の中に住んでいたような)を放ち、機内を一瞬のうちに毒マスクなしでは座っていられないほどの恐怖空間に陥れてしまう夫婦。豚やヘビといった不思議な動物を持ち込む男性。(盲導犬と同様の役割を果たすセラピーペットとして機内同乗が許可された豚ちゃんが、突然機内で暴れ出した事件もあったとか!!)人前で公然といちゃつき、挙げ句の果てには座席でナニの行為にまで至ってしまうというバカカップル。酒を飲み過ぎて、そこらかまわずゲロを吐きまくるお姉さん。はてはアルコールの勢いでやたらと好戦的になり、シートベルト着用するようにと注意されたこを不服としてスチュワーデスを殴り飛ばす男ども。噂には聞いたことがあるけれど、実に豊富な事例で「機内暴力」についてのあれこれをユーモアたっぷりに説明していただき、読者を爆笑の渦に巻き込むこと間違いありません。

 飛行機は満席、上空には乱気流、席はエコノミーのど真ん中。右隣の席には、膝の上で泣き叫ぶ赤ん坊をあやす母親が、右側にはブクブクにふくれあがった超肥満のビジネスマン……誰でも経験したことのある、こんなよくある飛行機内の情景で、本書で語られる事件は起こるのです。著者自身が自虐的に語っているように、まさにそれは地獄の旅。「ようこそ、ご搭乗くださいました。痛快無比な、楽しい(あくまで他人事である限り)旅の数々をご紹介いたします」とは、著者の冒頭のご挨拶。 お願いだから、今度自分が乗る飛行機で、こんな事件はおきないようにねと、読後は、そう願わずにはいられません。軽いタッチで書かれた爆笑エッセイではあるけれど、ホントは笑い事ではすまされない内容を持った事件の数々なのであります。


機上の奇人たち—フライトアテンダント爆笑告白記


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くさいモノほど美味いと言うけれど・・・・ [料理・グルメ]

 臭いモノが大好き、という奇妙な趣味を持ったグルメの方々は、みなさまの中にもいらっしゃるのではないでしょうか。そんな方々のために、こんな小話を一つ。世界で最も臭い食べ物についてのお話です。

 一つは、お隣韓国の「ホンオ・フェ」。韓国南端の木浦(モッポ)という港町の名物で、エイを瓶の中にぶつ切りにして10日間密閉して発酵させるだけの食べ物です。軟骨が発酵することによって発生したアンモニアが充満した切り身は、食べたとたんに失神する人もいるくらいに猛烈な臭いがするらしい。冠婚葬祭の時にも、必需食材として活用されているらしいです。なんといっても、食べれば誰でも涙が出てくるからね(笑)。

 お次は、カナディアン・イヌイットたちが食べるという「キビヤック」。アザラシの肉と内臓を平らげた後、その皮の中に海燕を羽のついたまま50羽ほど詰め込み、糸で縫いつけてそのまま地面に埋めることによって作る、野鳥の塩辛です。三年も土の中で発酵させるというその食材は、もうほとんどウンチのような臭いがするという、すさまじい代物だそうで・・・・・。

 最後に、スウェーデンの「シュール・ストレンミング」。鰯やニシンを樽の中に塩で漬け込み、発酵し始めたところで缶詰にしたものです。缶詰の中でも発酵は続くため、缶は爆発寸前にふくれあがっている。この缶を開けると、そこは素敵な発酵臭の世界が広がっているという世にも珍しい臭いの缶詰です。この缶は決して屋内では開けてならないという注意書きが書いてあるというのですから、その臭いたるや想像してみてください。

 小泉武夫「くさいはうまい」(毎日新聞社)には、このように臭い食べ物についての情報がてんこ盛りにされています。この本を読むと、くさやの干物だとか、なれ鮨だとか、蜂の子だのざざ虫だの、日本を代表する臭い食べ物たちも、可愛く思えてくるから不思議。私は食べ物にほとんど好き嫌いがないのでありますが、いわゆるゲテモノだけはどうも受け付けないタイプの人種でありまして、読んでるだけで失神しそうになる記述も多々ありました(苦笑)。しかし本書は、決してゲテモノ礼賛の書ではありません。臭い食べ物、つまりは発酵食品がいかに健康的な優れているかを書き綴るのが本来の目的です。しかし究極の発酵食品を目指すと、こんなにもスゴイ食べ物を人は発明してしまうということも教えてくれました。くさいは、美味い? うーん。でも私は、やっぱりみんな食べれそうにはないですわ・・・・。


くさいはうまい


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鼻で歩く生物がいた?!  [ノンフィクション]

 今日は、ちょっとびっくりするような一冊をご紹介しましょう。H.シュテュンプケ「鼻行類」(平凡社)が、それ。「新しく発見された哺乳類の構造と生活」と題されたこのお堅い動物学の本は、誰もがビックリ仰天するような珍生物についての観察記録であります。本書がドイツで発行されたのが、1957年のこと。日本語訳されたのは、1987年という古い本ではありますが、その内容の衝撃はいまだに色あせることはありません。なにしろ、「まったく新しい哺乳類が20世紀になって発見された。場所は、南海の孤島であるハワイアイ群島。その島では、鼻で歩く一群の哺乳類が独自の進歩を遂げていた・・・・」というのです。世界中の動物学者はもちろんのこと、一般の人たちまでが「どうしていままでこんな珍妙な生き物が発見されなかったのか?」と大騒ぎになったであろうことは想像に難くありません。

 しかし、周りがどう騒ごうとも本書は真面目な動物学の研究書です。総論において作者は「鼻行類は哺乳類の特殊な1目とみなされており、有名な専門家ブロメアンテ・デ・ブルラスがその研究者である。鼻行類という名がまさに示すとおり、その共通の特徴は鼻が特殊な構造をしていることである。鼻は一個のこともあり、多数存在する場合もある。鼻が多数あるというのは、脊椎動物の系列ではほかに例がない・・・・」と、淡々とわが研究の成果を綴っていくのであります。

 異様に肥大した鼻を支点にして、逆立ちをしながらえさを食べるというミミズのような形状をした「ムカシハナアルキ」。鼻がまるでナメクジのように進化(?)し、足ではなくて鼻が移動手段となってしまったため常に逆立ち状態で生活するという「ナメクジハナアルキ」。先端に角のように長く伸びた鼻からでる粘液質の汁(要は、鼻汁だっ)を垂らして、川に生息する水生動物を捕獲するという「ハナススリハナアルキ」。全長約1.5mという巨大な体格で、全身が長毛に覆われた四本の足ならぬ鼻でノッシノッシと逆立ち歩きをしている「マンモスハナアルキ」等々。

 読んでいるうちに、いくらなんでも、シュテュンプケさん、冗談で書いてるんでしょ??と、思わず作者に問いかけたくなることの連続です。ジャック・バルロア「幻の動物たち」(ハヤカワ文庫)じゃあ、あるまいし。日本で言うなら、荒俣宏の著作だよ。確かにテキストも図版もいかにも学術風に記されているけれど、それならきっちり写真を持って万人に説明してみろっ。と、誰もが考えることでありましょう。実は、本書が伝説的な名著と化してしまったわけは、そこにあります。実はですね、この世にも不思議な「鼻行類」が生息していたハワイアイ群島は、本書が発行された1957年に核実験によってすべてが消滅してしまったというのです。動物たちも、研究標本も、なにより研究者(著者)自身も。

 もはや私たちには、この研究書がホンモノなのかパロディーなのか、想像するしかありません。海外ではいまだに動物学者によって、学会でケンケンガクガクの論争が繰り広げられていると聞きます。日本ではキワモノ書として、ほとんど学会では無視され、SFとしてしか認知されていないらしい本書。臨死体験のテーマもそうだけど、どうして日本人はこう極端なのですかね? まあ、真相の追求は海外の学者先生にお任せするとして、私たち素人はだまされたつもりでこの不思議な生物たちの姿を想像してみようではありませんか。未知の生物との出会いというのは、誰にも夢とロマンを感じさせてくれるものなのですから。


鼻行類—新しく発見された哺乳類の構造と生活


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ほめて、ほめて、ほめまくれ。 [ノンフィクション]

 富山県に、「ほめる指導法」で画期的な成果を上げている公立小学校があるといいます。学校ぐるみで基本マニュアルに添った指導法が実践されていて、とにかくどの教師も子供をひたすらほめまくる。たとえば、こんな感じです。教科書を音読させる授業では、「スラスラ読めて、えらいです」「声が揃って、綺麗です」「言葉がはっきりしていて素晴らしい」・・・・・どんな子供に対しても、その子の長所を必ず見いだして声をかけてあげる。「上手いですね」「よくなったよ」「その調子で頑張ろう」・・・・先生のおだてに乗って子供たちはどんどん勉強するようになって、全校の学力がめざましい勢いで上がっていった実績を誇っているらしいのです。

 高取しづか「わかっちゃいるけど、ほめられない!」(宝島社)は、そんな富山市立五福小学校の取り組みを紹介しながら、「ほめる指導法」について考えていく書であります。女子マラソンの高橋尚子選手も、小出監督のほめる指導によってその才能を開花させたことで有名ですね。高橋選手も笑いながら語っていたけれど、「君ならできる」「世界一になれる」毎日毎日、一日中「君には才能がある」と言われ続ければ、本当に自分でもそんな気になってくる・・・・・こんな気持ちは、なんとなくわかる気がします。

 そう。だれでも人に褒められるのが嫌いな人はいないのです。大人だってそうなのだから、子供ならなおさらですね。親というのはどうしても子供の足りなさばかりに目がいって、あれこれうるさい小言ばかりを口にしがちであるけれど、発想をまったく変えて子供の長所ばかりを褒めるようにしてみようと、本書では提案しています。「ほめてばかりで精神が鍛錬されないのでは?」「いい気になって、おごり高ぶった人間に育つのでは?」などという心配をされる方、さにあらず。褒められることによって前頭前野が活性化され、本来持っている能力が発揮されるようになることは現代医学によってちゃんと科学的にも証明されているのですよ。

 ほめてほめて、ほめまくれ。そういえば、アートの世界でも優秀な児童の絵画指導者たちは、みんな子供たちの絵画を褒めるのが上手な人たちです。どんなぐちゃぐちゃの絵を描こうが、「この線は宇宙的で、素晴らしい」「雄大な力強さを感じるよ」などとほめてしまう。こうやっておだてられた(まったく画才など無いと思われていた)わんぱく坊主たちの描いた作品は、生命力にあふれた素晴らしいアートを描いてしまうことがしばしばです。大切なのは、どうやって褒めるかという技術論ではなく、どんな褒め言葉のバリエーションを持っているか、というのが著者の考え方。子供たちを幸せにする方法は、実はこんなにも簡単なことなのでありました。「わかっているんだけど、それがなかなかねねえ」と苦笑いするお母さん方、だまされたと思って試してみてはいかがでしょうか。


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不思議なメロンパンの謎に迫る研究本。  [料理・グルメ]

 最近は一時期ほどの過熱さはなくなったみたいだけれど、相変わらずメロンパンは女性達に人気があるらしい。新宿高野ではマスクメロン果汁を盛り込んだクリーミーメロンパンを買い求めるお客でいまだに長蛇の列ができているというし、逗子にあるメロン館なるパン屋さんでは一日2000個のメロンパンが売れるという。いやはやメロンパン、恐るべし。メロンパンが美味しいパン屋さんは、必ず流行る。何故なら、メロンパンにはいつの時代でも女性達の心を捕らえて離さない不思議な魅力にあふれているからであります。

 大体、メロンパンの定義とは何なのだ? 日本独自の菓子パンなのか? それともどこかのお国の食べ物なのか? いつ頃、日本で発売されるようになったのであるか? 東嶋和子「メロンパンの真実」(講談社)は、そんなメロンパンにまつわる疑問を我が国で初めて解明することにトライした書です。こんなにも人気のパンなのに、あんパン(木村屋)やクリームパン(中村屋)と違って、メロンパンには確固たるルーツが解明されていないらしい。そもそも、そんなことを調べる物好きもいなかったらしい。ということで立ち上がったのが、メロンパン大好きな科学ジャーナリストの著者であったというわけです。

 メロンパンドイツ起源説に、メキシコ起源説。はたまた、昭和6年に実用新案で登録された菓子製造法こそメロンパンであり、つまりは日本独自製品説。まあ飽きずに、これでもかこれでもかと日本中からメロンパンの情報を収集し、美味しいメロンパンのお店の紹介とともにメロンパンにまつわるうんちくを盛りだくさんにまとめています。読んでいるうちに「パン生地の周りをクッキー生地で包み込んで焼き、さくっとした食感の次にふんわりパンが現れる」というメロンパンにおける基本コンセプトに感動し、次の日は自然とパン屋さんに足が向いてしまうことでしょう。

 ただし、どうもメロンパンというヤツはカレーパンやジャムパンよりもカロリーが高いらしい。最新のクリーム入りとか、チョコがまぶしてあるものなんて、なおさらでしょう。くれぐれも食べすぎにはご注意あれ。と、これは本書をまとめるにあたって恐怖の体型と化してしまった(?)著者による忠告でもありました。


メロンパンの真実


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