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憧れの韓流スターが勢揃い!! [韓流ドラマ]

 最近、すっかり週末には韓流エンタメ本を取り上げるのが恒例になってしまいました。ご好評にお応えして(笑)、今回は韓国スクリーン編集部編「韓国映画俳優事典」(ダイヤモンド社)をご紹介いたしましょう。「韓国人気映画雑誌スクリーン編集部がつくった超保存版韓流スターファイル! 圧巻! オールカラー韓流スター459名総ガイド」と謳われた、韓流ドラマ・映画にはまっている人なら垂涎ものの豪華な一冊でございます。

 スターのプロフィールだけならば、いまやインターネット上に韓流俳優たちのリストはゴマンと掲載されているけれど、本書の特色はそれ以外にも俳優としての評価等が書き込まれている点でしょうか。しかもそれは、日本の愚かな芸能ゴシップ記事ではなくて、韓国スクリーン編集部(日本の同名タイトル映画雑誌とはまったく別物だそうな)の記者による少しばかり辛口のコメントの数々。噂にはよく聞く、韓国内におけるそれぞれの役者としての評価を改めて知り、「うーん」と唸ることしばしでありました。

 結果として、いまをときめくイ・ビョンホンの映画俳優としての苦難の道のりをしっかりと解説してあったり、韓国一美しいと評判の美人女優(私は決してそうは思わない! )キム・ヒソンの映画デビュー作は「テレビの演技と同じく人々を失望させ」と皮肉られ、『ガラスの靴』のキム・ヒョンジュに至っては「ドラマでの活躍に較べて、映画では多様性に乏しい」とバッサリ。キム・レオンもキム・ジェウォンもイ・ドンゴンも、つまりは現在日本において売り出し真っ最中の男優の扱いはホンの小さいものでしかなく、『美しき日々』のZEROことリュ・シウォンなどは可哀想に掲載自体がされていない。ページをめくるたびに「なんてことッ!」と、ご贔屓スターの扱いの理不尽さに怒りを覚える奥様方も多いかもしれません。

 つまり本書は「韓国映画俳優」事典であって、ドラマ俳優を取り上げたものではないということですね。俳優の評価も、映画における活躍度が基準であって、ドラマ中心の俳優はどちらかというと冷遇されている扱いです。しかしまあ、そんなとまどいを差し引いても、一流スターから個性派俳優、名脇役、子役、コメディ俳優、若手ホープと多種多様な観点からカテゴリ分けし、韓流俳優を詳細に解説していく書籍というのは珍しい。韓ドラによく出てくる俳優の真の姿がかいま見れ、自らのマニア魂をそそられること間違いないでしょう。

 ちなみに、私のご贔屓スターでありますチョン・ジヒョンは「映画界の青春シンボル」として特A級の扱いで、ご満悦(よし、よし)。若い頃はお嬢様ふうでぜんぜんピンとこなかったキム・ハヌルも「『ロマンス』で明るいイメージに変身し、『同い年の家庭教師』では天然ボケといわれるまでに…」と、その変身の過程がしっかり書き込まれているのも笑えます。ちょっとデータが古いのが難ですが、現時点では「最高の韓流エンタメ大図鑑」と賞すに値する書籍であります。


韓国映画俳優事典


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あたりまえは、ホントに大切か? [ノンフィクション]

 世の中、ホントおかしいと思うのだ。年寄りを大切にしよう。人のものを盗むのはやめよう。人から親切を受けたら、感謝の言葉を口にしよう……とかさ、昔なら小学校の道徳の授業(今は、そんなものないのか?)で教えていたところの「人としての基本」を、大人も持っていない方が多くなってしまったし、もしかしたら「人殺しをするのは、やめましょう」みたいな教育をするレベルまで、人々の倫理観は堕ちてしまっているのかもしれません。

 そんなところに現れたのが、ロン・クラーク「あたりまえだけど、とても大切なこと」(草思社)という本。学習や行動に問題を抱える生徒の多い学校から優秀児童を排出し「全米最優秀教師賞」を受賞した実績を持つ熱血先生による、子供を指導するための50の法則をまとめたルールブックであります。内容は、まさにタイトル通り。しかし「成功する児童教育のための50の鉄則」といった原題を使わず、「あたりまえだけど、とても大切なこと」と持ってくるところが、この出版社のネーミングの巧さでありましょうか。

 大人の質問には礼儀正しく答えよう。相手の目を見て話そう。だれかがすばらしいことをしたら拍手をしよう。人の意見や考え方を尊重しよう。勝っても自慢しない、負けても怒ったりしない。だれかに質問されたら、お返しの質問をしよう……これが、本書で言うところの50のルールたちなのですが、みなさんは果たしていかがお感じでございましょうか? 大切なことであることは誰もが認めることですよ。でも、こんなことをルール本としてまとめなくちゃいけないことに、そしてそれを使って教育する先生が評価されるという現在の情勢こそが、まさに病んでいると改めて情けない気持ちになりませんか。

 本当は、本書をよんで勉強が必要なのは世の中の大半のオトナたちのような気もします。成人式のプレゼントに、就職や昇進のお祝いに、本書をぜひご活用されてはいかがでございましょう。季節もちょうど春ですし。「ふざけんなッ」と怒られそうだけど、世の中はそれほどまでにおかしくなっていると思うのであります。


あたりまえだけど、とても大切なこと—子どものためのルールブック


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もし夢の世界が現実より楽しくなったなら? [小説]

 昨日、久々に懐かしいヒトの夢を見た。学生時代に好きだった女の子の夢だ。二十年ぶりに見る彼女は相変わらず美しく、それでいてちょっとクールなつれない態度も変わっていなかった。せっかく食事に誘い出したのに、いざ逢ってみると別の用ができたということで、すぐに帰ろうとするではないか。私は必死に次回逢う約束を取り付けようと、アプローチを試みる・・・・。

 夢は、ここで覚めた。なんで今頃こんな夢を見るのか理解できません。別に今でも未練があるとか、秘めたる想いがあるわけでも全然ないですよ。(心理学者風情に分析させると、そんなこと言われそうだけど)でもね、もし毎日、同じ夢を見ることになったとしたら、どうでしょう? しかも、夢は今日の続きで、ストーリーとして確実につながっているとしたら? 夢の世界の動きは刺激的だから、明日の展開がどうなるのかワクワクして、現実に生きることよりも眠ることの方が楽しみになっていくかもしれない・・・・。

 エドモンド・ハミルトン「フェッセンデンの宇宙」(河出書房新社)というSF短編集のなかにある「夢見る者の世界」が、まさにそんなストーリーなのです。主人公は、さえない保険会社の事務屋のヘンリー・スティーブンス。結婚もし、それなりに安定した生活を送っているのだが、人生に夢も失っている。それに対して、毎日必ず夢の中で現れる世界は、砂漠の中でさっそうと民族間の闘いを指揮する男・カールカン。さえないサラリーマンは、夢の中ではスーパーヒーローに変身してしまうのだ。無敵の軍隊を自ら統率し、敵国の絶世の美女姫を奪い取り、祖国統一のために奔走する日々……。

 ヘンリーが見る夢は、いつもカールカンとして生きる世界であり、実にスリリング。必ず、話につながりがあり、あまりのリアルさ故に、どちらが現実で夢なのか、だんだん理解しがたくなってくる。それどころか夢の世界に早く入りたくて、仕事もそっちのけで夕方から床に就くという異常な生活に。しかし、やがてカールカンの世界にピンチがやってくる。油断した隙に反乱軍が毒矢を使って、我が城は壊滅的打撃を受けたのだ。カールカン、最大のピンチ。敵はもはや、目の前で最後の総攻撃に備えている。もし夢の中の彼の国が滅びてしまったら、夢を見ているはずの自分=ヘンリーはどうなってしまうのだろう?

 夢と現実という、誰もが体験したことのあるテーマを元にして、実に面白い切り口でまとめた小編です。こんな小説を読んだから、変な夢を見たのかもしれないな(笑)。本書にはこの他にも「宇宙の外には、もしかして巨大な神がいて、我々の世界を監視しているのかもしれない」という子供が必ず空想する世界を具体化した名作「フェッセンデンの宇宙」や、眠りから目覚めると棺の中にいた"死んだはずの男"が目を覚まし、元の家族の元に帰ろうとした時に見てしまった悲劇を綴った「帰ってきた男」等々、エドモンド・ハミルトンという作家の奇想短編の名品が勢揃いしています。この手の本を読みすぎるとまた変な夢を見そうで良くないのですが、それでもやはり没頭したくなってしまう。ハミルトンの短編は、そんな不思議な魅力を持つ世界なのでした。


フェッセンデンの宇宙


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衝動買いが大好きな貴方へ [エッセイ]

 先日「パリ時間旅行」を読んだ時も感じたことですが、鹿島茂センセイの文章というのは本当に上手いと思うのです。(ちなみに普通、私がセンセイと記すのはどちらかというと皮肉を込める場合が多いのですが、鹿島氏に対しては100%敬服の意味を込めた敬称ですよ)「パリ時間旅行」の時は、その文章力、構成力、そして持ち前の博学に感服したものでしたが、本日ご紹介いたします「衝動買い日記」(中公文庫)になりますと、絶妙なユーモア感覚に脱帽ということになります。この上品なユーモアは、全盛時の北杜夫のどくとるマンボウシリーズに通じるものがあります。

 本書の著者である鹿島茂氏は、共立女子大学の現役のフランス文学教授。その道では知られた有名な先生でありますが、ちょいと腹の出た、色黒のいかつい、サングラスをかけると道行く人が視線を避けるというタイプの、およそ仏文学教授らしくないアブナイ風貌の人物でもあります。そんなセンセイ、実はお買い物が大好きで、しょっちゅう衝動的な買い物をしては家族に迷惑をかけるという事件を巻き起こしているらしい。本書は、そんな鹿島氏の買い物の数々、典型的な衝動買いの顛末記をユーモアたっぷりに、そしてもちろん購入したモノにまつわる様々な雑学を添えて書き綴っている、著者にしては異色のエッセイなのです。

 腹筋マシーン、ふくらはぎ暖房機、挿絵本、高級財布、ネコの家、男性用香水、サングラス、体脂肪計、ごろ寝スコープ、ヴィンテージワイン、毛沢東・スターリン握手像・・・・。ムッシュー・カシマのお買い物は、私たち庶民となんら変わらぬ通信販売の発作的衝動買いから、氏ならではのこだわりに満ちあふれたマニアックなコレクションまで、実にさまざま。しかしそれぞれの買い物の奥に潜む男の衝動買い心理(?)を、絶妙に描き込んでおり、男性諸君ならずとも思わず膝を打ちたくなるというモノでしょう。それでいて、そこいらの流行エッセイストとやらが書き殴る駄文とは、その文章の質の差は明らか。思わずぐいぐい読み進んでしまうのは、単に面白おかしく綴られた文章タッチにあるわけではなくて、一編一編がきちんとした構成力を持っているからでありましょう。楽しくて、ためになる。グリコのキャラメルではないけれど、まさに、そんなコトバがピッタリの軽快エッセイであります。


衝動買い日記


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ヘンな日本語にもワケがある [ノンフィクション]

 最近、若い人のみならず全体的に日本語が乱れているとお嘆きの方はいないでしょうか? よく指摘されるのが、お店で「おビールをお持ちしました」「コーヒーの方をおもちしました」「こちら○○セットになります」とかいう言い方。何でもかんでも「お」をつければ丁寧になるってもんじゃないし、ひとつしか頼んでいないのに「〜のほう」はおかしいね。「〜セットになります」って、一体いつその○○セットやらに変身するというのだろう?……なんてつつき出したら、それこそキリがない。だからこそ、現代に正しい日本語教育が必要なのだ、と頑固親父が大声あげて叫び出す姿を容易に想像できてしまいます。

 しかし、もしもあなたがそんな意見に同意するようであれば、ここで問題。

問1 「独壇場(どくせんじょう)と独擅場(どくだんじょう)」正しいのはどっち? 
問2 「添付」の正しい読み方は、「てんぷ」か「ちょうふ」? 
問3 「一所懸命と一生懸命」正しいのはどっち?

 ……いかがでしょうか? 実は、答えはなんてことはなくて「どちらも正しい」のが正解。もちろん純粋に語学的観点からすると、「独壇場(どくせんじょう)」「ちょうふ」「一所懸命」が正しい言葉であります(全部、正解できた?)。でもね、言葉というのは時代と共に変化していくモノでして、明らかな誤用や簡略化が一般的に浸透してしまい、全体の多数を占めるようになっていくと、それは誤用ではあるが慣用表記として認められてしまうというのです。定型的な事例が「雰囲気(ふんいき)」の読み方の「ふいんき」というヤツ。明らかな誤用ですが、あまりに間違える人が多いので、もはや「フインキ」が慣用表記になりつつあるという解説を聞いて、漢字の読み方試験で出題できなくなるとお嘆きの先生方もいるに違いありません(笑)。

 北原保雄「問題な日本語」(大修館書店)は、このような「一般的にはおかしい」とされている日本語について、「明鏡国語辞典」の編者・国語学者でもある著者によって丁寧に解説が加えられた快著であります。「ヘンな日本語にもワケがある」と、いうのが本書の基本的コンセプト。いわゆる他の日本語本と一線を画すのが、「これは間違っている」「こんな使い方をするのは誤用」と一方的に非難する立場を取っていないところでしょう。むしろ最近はびこる流行言葉を積極的に取り上げて、語学的に解剖するとどうしてそのような表記になってきたのかを楽しんで解説しているようにも思われます。

 「全然いい」は、芥川も使っていた表記? 「知らなそうだ」は、正しくなさそう? スゴイ美味しいも、なんかヘン? 「私って、○○じゃないですかぁ」…んなこと、知るか!! 「これって、どうよ」ってどうなのよ? 「なにげに」言われた言葉は、ほめ言葉? 「わたし的にはOKです」は、普通の表現か?……本書で取り上げられた言葉の数々です。日頃なにげに(あっ、まずい。ついつい出てしまったこの表記)使っている日本語の秘密について、こんなにも面白く興味深く解説してくれる本は初めてでした。言葉の本なのに、読んでいて爆笑、または大いに膝を打つこともしばしば。そしてさらにいいますと、日本語の奥の深さにため息をつく結果にもなります。毎日こうして原稿を書いていても、本当にまだまだ知らないことだらけ。言葉って、難しい。でも、面白い世界でもあるんですねー。


問題な日本語—どこがおかしい?何がおかしい?


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韓流ドラマのナゾが解決できる本。 [韓流ドラマ]

 韓流ドラマを観ていると、「なんかヘン」と疑問に思うことがけっこう出てます。たとえば、携帯電話を病院内でもところかまわずかけまくる姿。スゴイ豪邸に住むお金持ちでも、敷地内に自分の車を停めないで門の前に路上駐車していまうこと。そういえば、布団を押入にしまう姿というのを見たことないし、パジャマに着替えるシーンもほとんど見かけない。誕生日にいつもワカメスープを飲むのは韓国の定番なのだろうか? 何かというとラーメンばかり食べているみたいだけど、いつもそれはいつもインスタントで、しかも鍋のフタを受け皿代わりにして食べてるね。屋根の上の部屋がよく出てくるけれど、あれって本当に安い部屋なのかしら?……等々、まあ、こんなナゾ解きは韓ドラにはまりこむための登竜門と呼べるモノなのかもしれません。

 そんな疑問を抱いた貴方のために、ちょうどよい書物を一冊。韓流隊「もっともっと韓国を知りたい」(竹書房文庫)であります。またまた竹書房文庫でゴメンナサイ。普通ならムック本として芸能コーナーにでも並ぶべき内容の本書が、堂々と文庫の新刊として書店の中央で平積みされているお姿に、ちょっと笑ってしまって(感動もしたよ)、恥ずかしながらレジへと本書を運んだ私でありました。ムックと違って、価格も廉価でお買い得ではありますし。せっかく購入したので、今回は本書の紹介を。韓ドラ本を取り上げるとなぜか急激にアクセスが増えるため、アクセス対策を兼ねているという内部事情もあるわけなのですが……(笑)。

 本書の特色は、「天国の階段」「美しき日々」「パリの恋人」「サンドゥ、学校へ行こう」「バリでの出来事」といった最近地上波で放映されて好評を博したドラマを中心にして、その中から私たちが「?」と思った韓国の恋愛・習慣・歴史・食べ物等々の最近韓国事情をやさしく教えてくれるところにあります。このように最新ドラマ(スカパーでKNテレビを観ているコアなファンにとっては決して新しいとは言えないけどね…)を切り口にしてさまざまな解説を試みているので、興味深く読み進めることができる。ドラマにはまったヒトなら必ず疑問に思ったもろもろの事柄もほとんどすべて解決し、読後は奥様方もスッキリ爽やか「ガスピタン」の気分になること請け合いです。

 さらに私がビックリした最大のニュースは、チョン・ジヒョン嬢主演の「猟奇的な彼女」をあのスピルバーグ監督がリメイク(というより、合法的パクリと呼ぶべきでは?)するという仰天情報が本書に書かれていることでありました。真偽のほどは確かではないけど、ヤツらのことだからまんざらウソでもないかもね。「世界中の女優を見渡しても、絶対に彼女しかできないキャスティング」というのが、私の持論です。「どうや、やれるもんならやってみなみ、キッ!!(きつく睨み付ける)」とばかりに、クァク・ジェヨン監督ともども(?)怪しげなハリウッドの動向に目を光らせている私であります。


もっともっと韓国を知りたい—ドラマ&人気スターでわかる!


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キャッシュカードは鉄人28号のリモコンだ。 [ノンフィクション]

 好き嫌いは別として、現在の生活を営む上で欠かすことができなくなってしまったキャッシュカードとクレジットカード。しかしこのカードを見るたび、私はなぜかアニメの鉄人28号の主題歌を想い出してしまうのです。みなさん、あの歌の歌詞を覚えてますか? 

「あーる時は、正義の味方。あーる時は、悪魔の手先。いいも悪いもリモコン次第……」

 そんなアホな(笑)と思わずのけぞってしまいますが、鉄人のリモコンをめぐる攻防というこのいい加減さが確かにあのアニメの面白さの特徴でありました。

 しかし鉄人のリモコンを笑ってばかりもいられない。柳田邦夫「キャッシュカードがあぶない」(文藝春秋)を読むと、日本の銀行が発行しているキャッシュカードなるものが、ほとんどあの主題歌で謳われているような存在であることが確認でき、唖然とさせられてしまいます。

 もともと金融カードというシステムそのものに、問題があると私も昔から疑問を抱いてきました。とくにクレジットカードが大嫌い。暗証番号もなにも搭載せず、単にカード番号とカード期限と氏名を記すだけで買い物ができてしまうなんて、危険以外のなにものでもありません。インターネット上でクレジットカードの不正購入事件が相次いで発生することなど、当然の理だと私は思います。けれども、本書でキャッシュカード事件に対する銀行の対応を知ってしまうと、クレジットカードはむしろ安全なモノに思えてしまうから不思議。もし当人に身の覚えのない買い物がされていれば、カード会社は真摯に対応してくれますし、異常なキャシングをした人には即刻調査するという(アナログ的ではあるけれど)セキュリティシステムが確立されているからです。

 これに対して、キャッシュカードの場合はどうでしょうか? 老後資金としてためていた3,000万円を偽造キャッシュカードによって全額だまし取られたAさんも、キャッシュカードの盗難によってやはり全額を引き落とされたBさんも、銀行の対応も冷ややかなものばかり。カードの管理は顧客の「自己責任」であり、それによって生じたトラブルに対して銀行は一切責任を負えないというのです。警察に至っては、法律に正確に照らし合わせて考えると、お金を取られた被害者は銀行ということになり、あなたが主張できるのはブラスチックカード一枚の紛失届に過ぎないのだとか……。(銀行は一銭も損してないのだから、被害届けを出すわけがない!!)

 21世紀のコンピュータ社会において、このような前近代的な考え方をしている人々が存在していることにビックリ。そんな彼らに私たちが大切なお金を預けてきたという事実に気付いて、再度ビックリ。しかし驚いてばかりはいられません。敵は、そんな彼らの対応をあざ笑うかのように、日々最新技術を開発してカード情報を盗み取る手腕を進化させており、極端な話、私たちがカードを持ち歩いているだけで、カードに書き込まれている個人情報を盗み取られる危険性が否定できない時代に突入しているのです。著者が本書において怒りを込めて銀行や警察、政治家の怠慢を次々と責め立てるのは当然のことでありましょう。

 自分の身にもいつ降りかかるかわからないキャッシュカード事件。ようやく銀行も最近は重い腰を上げて、生態認証カードなどを開発するようになってきたけれど、欧米諸国の事件対応に較べるとまったく低レベルのそしりは逃れない。残念ながら現段階では、盗まれたら困る金額の貯金に関しては別口座をつくり、そこにはキャッシュカードを発行しない……この方法しかないようです。鉄人のリモコンがいつ盗まれるかびくびくしながら生活するなんて、精神衛生上あまりによろしくないことですからね。


キャッシュカードがあぶない


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読んで楽しい、見て美味しい。 [小説]

 本の装丁というのは不思議なモノでして、本の内容とはまったく別なのはわかっているのに装丁の美しさだけで「面白ソー」と思えてしまう書物というのが、確かに存在します。読んでみて「だまされた」と思うこともしばしばなので、あまり装丁で判断するのもいかがなものかとわかってはいるのですが、やはり書店の店頭で出会った時の第一印象って、読者の購買意欲を刺激してしまいますよね。

 本日ご紹介するアレックス・シアラー「チョコレート・アンダーグラウンド」(求竜堂)は、そんな観点からするとまったくお見事な装丁デザインで成功を収めている書物の代表株。チョコレートをテーマとした小説に合わせて、外から中まで、チョコレートブラウン一色。見返しや、本扉、口絵ページ(本書では、登場人物の解説に使用)には、高級ブランドの贈答用包装紙のようなチョコレートブラウンの筋入りの用紙が使われている凝りようです。本文インキも、もちろんチョコレートブラウン!! 本をペラペラめくっていくだけで、甘ーい香りが書物から漂ってきそうなイメージを醸し出しているのです。

 この小説の中味はといいますと、舞台はイギリス。選挙で勝利をおさめた「健全健康党」が「チョコレート禁止法」なる法律を発令した、という事件から物語は始まります。健康に害のある甘い食べ物は、人類の敵である。これらを食べる悪癖を国民から抹殺させるために、違反した人には重罪を課すことにしたのです。まるでナチス政権下のドイツのように、チョコレート禁止違反者を探し出しては迫害し続ける健全健康党。震え上がる大人たち。しかし、そんなおかしな政治のあり方に反旗を翻したのは、チョコレートが大好物であるハントリーとスマッジャーという少年であった。彼らは、危険を冒してチョコレートを密造し、仲間達で楽しむための「地下チョコバー」を始めることにした……。

 という、なんともヨダレが出てきそうなストーリー(甘いのが苦手な人は、つらいだけか?)。そういえばロアルド・ダール「チョコレート工場の秘密」(評論社)も読むだけでチョコが食べたくなること必須の童話だったけど、本書もまさにチョコ好き必読の甘くてロマンあふれるファンタジーになっています。子供向けの童話でありながら、政治に対する風刺もたっぷりで、「悪が栄えるためには、善人が何もしないでいてくれればそれだけでいい」という18世紀イギリスの政治家エドマンド・パークの言葉を楽しいお話しの中に見事に盛り込んでいます。しばし童心に返って、子供の頃の純粋な心で読み進めることをお勧めいたします。

 ところで本書の装丁ですが、インクにもチョコの香りをつけたりしたら、もっと効果的だったし、バレンタインデーの贈り物にも最適の一品になったかも・・・・。ただですら美味しそうなのに、そこまでしたら本当に本書を食べるヒトが出てくるから駄目なのか(笑)?


チョコレート・アンダーグラウンド


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恐ろしい拷問・処刑の数々 [ノンフィクション]

 子供の頃、東京タワーにある蝋人形館で見た一つのシーンをいまだに忘れることができません。それは、中世ヨーロッパで行われた拷問を再現したコーナーで、人間をまるで鶏の丸焼きのごとくに串刺しにしてつるしたものでした。案内文によると、それは「人類が考え出した最もつらい拷問」とのこと。つまり、人間をいかに長い時間苦しめながら死に至らすという観点から考えると、その拷問(というより処刑に近いけど)が最大の刑罰として中世ヨーロッパでは普及していた……とのことでありました。もう三十年の昔の話なのに、いまだに鮮明に覚えているのは、子供心にその恐ろしさに震え上がったからに違いありません。

 桐生操「人はどこまで残酷になれるのか」(中公新書ラクレ)を読んだ時、まさにこうした子供の頃の記憶が甦ってしましました。もしもみなさん、いま食事中だったらゴメンナサイ。本コラムを読むのは食事後にした方がいいですよ(苦笑)。というのは、本日ご紹介するのが、人間たちが過去に犯してきた(そして今だに続いている)残虐行為、拷問器具の数々を系統的に綴っていった「闇の世界史」とでも呼ぶべきなんとも気味の悪い書物であるためです。

 冒頭に紹介した「串刺し人間」以外にも、人類はこれまで本当に多種多様の拷問を考え出してきました。刺や釘を打ち込んだ「鞭打ち」。妻の不貞を防ぐために考案されたというカギつきの金属パンツ「不貞帯」。檻の中の鉄の重い屋根が何日もかけて徐々に堕ちてきて、最後は囚人を煎餅のように押しつぶしてしまうという「鉄の棺」。仰向けに寝かされた人間に口から大量の水を飲ませて変形・変色させて、文字通りゲロを吐かせる「水責め」。手足をそれぞれ別の馬に引っ張らせて、最後は引き裂いてしまうという公開処刑「四つ裂きの刑」……。どうです、これらを読むだけでなんだか食欲がなくなってきちゃうでしょ?

 そしてまたこれら拷問・処刑の数々を考えたり、実施してきたのは多くが独裁者や暴君、貴族といった恐ろしい人間たちでした。自分を中心に世界が回っていると信じてやまなかった権力者。富と権力を一手に背負い、人民の生殺与奪の権限を握ってしまうと、人間というのはこんなにも恐ろしいことをやってのけるのです。拷問というのはいつの時代でも、世界中いたるところで存在し、そして現在でもいまだに依然として存在し続けています。人間たちの哀しくも恐ろしい性を見極めるためにも、このような闇の歴史はきちんとつたえられるべき内容でありましょう。

 本書では拷問・処刑方法の列挙にとどまらず、惨殺魔と化した権力者列伝、処刑されてきた人たちの歴史、さらには人間とは思えない(思いたくもない)戦慄の殺人鬼たちに至るまで、まさに残虐の数々をこれでもかこれでもかと紹介してくれます。読んでいて目を覆いたくなる記述もたくさんありますが、不穏な世界情勢が続く現在だからこそ、価値のある本とも言えます。「人を痛めつけたい」という残虐な心は、実は一部の異常人格者特有の性格ではなくて、私たち誰もが持っているホモサピエンスの本能でもあるはずなのだから……。


人はどこまで残酷になれるのか


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ヒトは、どこまで再生できるのか? [医学・サイエンス]

 私たちは、もしかしたらとんでもない時代に生きているのかもしれません。ウルトラセブンの科学特捜隊の隊員が腕につけていたテレビ電話に憧れのまなざしを抱いていたのは、たったの三十年前。いまじゃあ小さな子供がケータイでテレビを見る時代ですよ。こうして原稿を書いているパソコンだって、十年前にここまで必要不可欠な道具となるなんて私自身想像もつかないことでした。現代においてはあらゆる分野において、テクノロジーの進歩がすさまじい変革を遂げているわけですが、医療の分野も例外ではありません。立花隆「人体再生」(中公文庫)を読むと、21世紀の驚異の科学医療の実体が、最先端の7人の学者たちのインタヴューをとおして理解することができます。

 本書の面白さを伝えるには、私があれこれ解説するよりも、目次の項目を列挙するだけで十分です。「ここまできた再生医学。プラスチックと人体の戦い」「百年の定説を覆す脳神経系の再生」「イモリの再生力は、ヒトに潜むか」「再生医療は次代の成長産業だ」「人工肝臓完成まで、あと一歩」「培養皮膚ビジネスの誕生」・・・・・どうです? これまでSFとしてか考えられなかったような絵空事が、実は最先端の学者たちによって着々と現実化されているというのです。失われた体の一部や皮膚、臓器を患者自身の組織片から取り出して、その細胞を体外で培養させることによって再生させ、それを体内に戻すという信じられない治療法こそ、ティッシュー・エンジニアリング(再生医学)と呼ばれるものなのです。

 再生医学を持ってすれば、ネズミの背中に人間の耳の軟骨組織を培養して「人間の耳を抱えたまま走り回るネズミ」を作ることすらも可能です。この映像はTBSの番組で流れたこともあるので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。一見、非常にセンセーショナルな気持ち悪い映像でした。しかしこうした技術が将来的に、人間の体のほとんどの部位を培養再生する時代がくるらしいのです。それこそ現在の最新医療と多くの人が信じている「臓器移植」など、百年先の人が振り返った場合に「昔はこんな野蛮な医療をやっていらしいよ…」と、笑い話として語られるに違いないと言います。再生医学にはつねにヒトがヒトとしてヒトを救うためにはどこまでの行為が許されるのかという人道上のテーマはつきまといますが、もっと多くの人たちが現代医療の先端で何がおこなわれているのかについて知識を持つ必要はありそうです。本書はその導入として、多くの知的興奮を味わわせてくれるはずですよ。


人体再生


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